武家の名門・足利氏の廟所「樺崎寺跡」 悠久の浄土庭園再生プロジェクト

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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栃木県足利市(とちぎけん あしかがし)

寄付募集期間:2025年9月26日~2025年12月24日(90日間)

栃木県足利市

プロジェクトオーナー

国史跡の樺崎寺跡は足利氏の廟所跡で、浄土庭園を持つ中世寺院の遺跡です。

足利氏2代目の義兼(尊氏の6代先祖)は源頼朝と血縁関係にあり、その側近として鎌倉幕府の創設に貢献した人物で、晩年を樺崎寺で過ごし、その生涯を閉じました。
樺崎寺は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて最盛期を迎えますが、徐々に衰退し、明治の神仏分離令により廃寺となり、樺崎八幡宮として現在に至ります。

足利市では、発掘や文献等の調査研究成果に基づき、樺崎寺跡の保存整備事業を進めており、浄土庭園を現代社会における安らぎの場として再現し、人々が集える空間に整備するプロジェクトに取り組んでいます。

足利氏と樺崎寺

足利市は、足利氏発祥の地であり、鎌倉幕府を開いた源頼朝の曽祖父・源義親の兄弟である源義国が足利の地に移住し、その子・義康(よしやす)が足利氏を名乗ったのがはじまりです。

室町幕府を開いた足利尊氏は、初代の義康から数えて8代目にあたります。

足利氏2代目の義兼(よしかね)は、源頼朝と先祖(源義家)を同じくする血筋で、頼朝の妻・北条政子の妹の時子を妻としており、源平の戦いでは頼朝の右腕として活躍し、北条氏とともに鎌倉幕府の創設に多大な貢献をした人物です。

足利氏略系図

その義兼が、鎌倉幕府で頼朝に次ぐ地位にまで登り詰めたのち、晩年に仏門に帰依し、念仏三昧の日々を過ごしたのが樺崎寺です。

最後は自ら地中に籠り、念仏を唱えながら生き入定したと伝えられており、廃寺後に樺崎八幡宮となった今も、本殿の床下には「足利義兼公御廟」と書かれた墓標(木柱)が立ち、この地が義兼の入定の地であることを物語っています。

樺崎八幡宮本殿

この樺崎寺は、もとは義兼が参加した奥州合戦の戦勝祈願のために創建しましたが、その後、合戦の際に目にした平泉の毛越寺や中尊寺などの華麗な浄土庭園を中心とする寺院に深い感銘を受け、帰国後に浄土庭園を含む伽藍を整備したもので、頼朝をはじめ、有力御家人たちも競って自らの領地に浄土庭園を持つ寺院を造営しました。

また、かつて樺崎寺には義兼が作成を依頼した、運慶作とされる2体の「大日如来坐像」が存在しており、1体の坐像は寺の下御堂に安置し、もう1体の厨子入りの坐像は義兼が常に手元に置き、厨子を背負って諸国を行脚したと伝えられています。

この2体の坐像は明治の廃仏毀釈により樺崎寺から引き離されることとなり、1体は市内の足利氏ゆかりの光得寺に移され、もう1体は行方が不明となりましたが、平成20年にニューヨークで開催されたクリスティーズのオークションに出品され、日本の芸術作品として史上最高価格の約14億円で落札され、現在は宗教法人の真如苑が所有するといった数奇な運命を辿っています。

東国において運慶作の仏像が残されているのは、鎌倉幕府で重要な地位にあった人物が建てた寺院に限られており、また、樺崎寺跡の発掘調査により出土した瓦や陶磁器等の特徴からも、当時、義兼がいかに力を持っていたのかが伺えます。

三巴文軒丸瓦(上)と三鈷杵文軒平瓦(下)
古瀬戸・白磁四耳壺、かわらけ、折敷、漆椀、箸

鎌倉時代の足利氏は、義兼の子である3代の義氏(よしうじ)の時代に最盛期を迎えますが、その後は北条氏が実権を握って有力御家人を排除していった鎌倉幕府の中で、北条氏との姻戚関係などを通じて巧みに生き延び、頼朝の血統無きあと、源氏の嫡流である尊氏によって室町幕府が開かれることになります。

尊氏が武家のリーダーとなって鎌倉幕府を倒し、室町幕府を開くことが出来たのにはこうした道筋があり、特にその礎を築いた先祖・義兼の功績が大きかったと言えます。

鑁阿寺と樺崎寺

足利市の中心部にある鑁阿寺(ばんなじ)は、四方を堀に囲まれた義兼の居館跡をのちに寺院として整備したものです。

鑁阿寺山門と太鼓橋

足利氏の氏寺であり、鎌倉時代の最先端の禅宗様を特徴とする国宝の本堂に本尊の大日如来をお祀りし、地元では「大日さま」と呼ばれ、市民に親しまれています。 

樺崎寺は、この鑁阿寺から約5km離れた北東(鬼門)の方角に位置しており、義兼はその死後も足利氏の繁栄を願い、見守るために、この樺崎の地において入定したと考えられます。
足利の地は将軍家の父祖伝来の地として篤く庇護を受け、これら2寺をはじめとする一族ゆかりの社寺も繫栄し、守られてきました。 

日本の中世を代表する武家の血統・足利氏のヒストリーを語る上で、鑁阿寺は足利氏の「氏寺」として、また、樺崎寺跡は鑁阿寺の奥の院にあたる足利氏の「廟所」として極めて重要な場所であり、ともに足利市が世界に誇る文化遺産です。

これからの樺崎寺のために(寄付金の使い道)

樺崎寺跡は平成13年に国史跡の指定を受け、足利市による発掘調査や保存整備事業を進めてきました。

発掘調査中の園池中島

第1期・第2期の整備を通じて、これまでに史跡の主要な部分の復元整備を行い、浄土庭園についても、遺構の保存状態が良好な15世紀前半~中頃の姿に復元することが出来ました。

復元後の園池中島

現在は、主に史跡東部の遺構の整備に取り組んでおり、本年度は、樺崎寺跡を訪れる人たちのための説明板や防犯設備などの設置と、憩いの場として文化遺産に親しんでいただけるような空間づくりを行うための実施設計業務を行う予定です。

足利市では、この樺崎寺跡の保存整備事業を通じて、浄土庭園を現代社会における安らぎの場として再現し、さらに人々が集えるような空間を整備するプロジェクトに取り組んでいます。

室町幕府将軍・足利尊氏へとつながる足利氏の繁栄の礎を築いた足利義兼の終焉の地、この樺崎寺跡に復元された浄土庭園を訪れ、遥かなる中世の夢の跡に思いを馳せてみませんか?
もし、このプロジェクトにご共感いただけましたら、ぜひ、クラウドファンディングへのご参加をお願いいたします!

※目標金額を達成できなかった場合や、目標金額を超えた場合でも、皆様からいただいた貴重な寄付金は、本プロジェクトに活用させていただきます。

樺崎寺跡復元イメージ図

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栃木県足利市

足利市(あしかがし)は、栃木県南部に位置し、東京から北へ80キロメートルほどの位置にある、歴史と文化の香り高いまちです。北部を足尾山地の緑に囲まれ、南部には関東平野が広がり、中央部には渡良瀬川の美しい流れがあります。
日本遺産に認定された日本最古の学校「足利学校」や、国宝「鑁阿寺」、米国CNNによる「世界の夢の旅行先10カ所」に選ばれた「あしかがフラワーパーク」などの歴史的な建造物や観光資源も数多くあり、多くの観光客で賑わいます。
産業では、古くから織物のまちとして知られ、現在も新たな視点で織物産業の活性化を図ろうとする事業者が多くいます。また、アルミや自動車部品、プラスチック工業などを中心に、総合的な商工業都市となっています。
年間を通じた日照量の多さと肥沃な土壌のおかげで、市内全域で生産される農産物も自慢のひとつで、栃木県産いちごの発祥の地でもあります。