手作りの繊細さと温もりを感じる「佐賀錦」の名刺入れ 手織り佐賀錦 名刺入れ
【対象者の要件】寄附金の使途に認定NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)をお選びいただき、5万円以上のご寄附をいただいた方
両面を佐賀錦で丁寧に織った名刺入れです。
焼箔の経紙を使用し、絹糸で工字繋ぎ紋様を織り上げました。
佐賀錦は、金・銀・漆を貼った特製の和紙を細かく裁断したものを経紙とし、絹の撚り糸を染色したものを緯糸として丹念に織げられたもので、紋様は伝統的な網代(あじろ)、紗綾(さや)型、菱等、多種多様なものがあります。非常に根気のいる手作業で精緻な技術を要するため、一日わずかしか織ることができません。現代ではバッグや和装小物に加え、財布、アクセサリー、木目込み人形等制作されております。
美術品としましては、手作りの素朴であたたかい魅力と和紙の持つ温もりの中にも、気品のある優雅な美しさを秘めております。
※佐賀錦は「佐賀県指定伝統的地場産品」の指定を受けています。
提供:佐賀錦振興協議会(佐賀市)
【総務省告示第179号第5条3号に記載されている地場産品基準を満たす理由】
原材料の仕入れから織り、梱包、発送の全工程を佐賀市の佐賀錦振興協議会で、名刺入れ加工のみ佐賀市内の業者が行っている
※平成31年4月1日付けで総務省から、ふるさと納税に係る返礼品等について、「当該地方団体の区域内に住所を有する者に対して返礼品等を提供しないこと」との通知がありました。(平成31年総務省告示第179号第2条第1号ニ)
この通知を受け、佐賀県民の皆様からのふるさと納税(NPO等の支援)への御寄附につきましては、返礼品等の送付ができませんので、御理解と御協力をいただきますようお願い申し上げます。
佐賀錦とは
歴史
佐賀錦は、江戸時代末期に肥前(佐賀県)鹿島藩鍋島家の深窓で創案作成され、鹿島鍋島家の女性たちの苦心による創出であるといわれています。
この佐賀錦の起源については、鹿島鍋島家9代目藩主夫人柏岡の方がたまたま病の床に伏せていた時に、部屋の風雅な天井の網代組(あじろぐみ)の美に心を打たれ、これを日常生活に応用できないかと近侍の者に相談され、近習の並木某が苦心研究の末、観世縒(かんぜより)で網代を編んで印籠を作り、なかなかに雅趣のあるものになったといわれています。
佐賀錦に工夫、改良を加えたのは鹿島藩歴代夫人であり、その伝統は14代直繩(なおただ)の夫人政子氏に受け継がれ、今日に至っています。
明治初期に入ると佐賀錦は一時中断されます。しかし、佐賀県出身の故大隈重信候がこれを惜しまれ、旧華族の間で再興されると、大層評判となりました。
その後、明治43年にロンドンで日英大博覧会が開催された時、当時まだ鹿島錦と呼ばれていましたが、出品を機に佐賀錦と名づけられました。日本手芸の極致と称賛を受け、一気にその名声を遠く海外にまで広めることとなり、そのとき改めて佐賀錦と名づけられ、以後一般的に佐賀錦の名が定着したものと思われます。
佐賀錦振興協議会
平成5年に設立。現在は佐賀市歴史民俗館のひとつ旧福田家を主要拠点とし、情報発信や初心者講習会を開催し後継者育成を行っています。
AAR Japan について
AAR Japan[難民を助ける会]は1979年に日本で発足した国際NGOです。これまでに65を超える国・地域で支援を展開し、現在は世界17ヵ国で活動しています。難民など人道的危機にさらされた人々に必要なものを迅速に届け命をつなぐ緊急人道支援と、さらに未来を切り拓くための長期的な支援を6つの分野に注力して行っています。
いただいたご寄附は、佐賀県内での出張授業などを通した将来の国際協力を担う人材育成のお手伝いや、世界での支援活動に活用させていただきます。
カテゴリ |
家具・工芸品・装飾品
>
民芸品・工芸品
>
織物・繊維品
雑貨・日用品 > その他雑貨・日用品 > ファッション > 小物 > その他小物 |
---|
- 地場産品に該当する理由
原材料の仕入れから織り、梱包、発送の全工程を佐賀市の佐賀錦振興協議会で、名刺入れ加工のみ佐賀市内の業者が行っている
NPO支援について
佐賀県のふるさと納税(NPO支援)は、皆様が支援したい佐賀県内のNPO等を指定して寄附することができます。
いただいたご寄附は、その額の85%をNPO等にお渡ししており、NPO等の大きな課題の一つである資金調達を可能にします。
佐賀県は、この仕組みによりNPO等が自ら考え行動する自発の地域づくりの促進を応援しています。
佐賀県 NPO支援