J10-0901/樵のわけ前 20Lを1年間、定期お届け
お礼の品について
容量 | 天然水 樵のわけ前 ・20L(20kg)を毎月1箱ずつ1年間、定期お届け ※容量の変更は承っておりません。 |
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アレルギー品目 | |
事業者 | 株式会社桜島 他のお礼の品を見る |
お礼の品ID | 4685269 |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可 |
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申込期日 | 通年でお選びいただけます。 |
発送期日 | 原則、寄附翌月末までに発送。 |
配送 |
鹿児島県垂水市の地下1117mから採水した硬度2mg/Lの超軟水。
pH8.8の弱アルカリ性で、柔らかく口あたりが優しい天然水です。
そのままの飲用はもちろん、割り水やお料理にも最適です。
2017年度の、モンドセレクション「最高金賞」、iTQi国際味覚審査会「★★★(3ツ星=最高位」)、DLGコンクール「金賞」の3冠を達成しました。
2016年に新ラインを増設し最新鋭の製造ラインを導入。徹底した衛生管理の下、採水地にて充填しております。
【提供】株式会社桜島
▼ 樵のわけ前 1117 【900㎖】
▼ 樵のわけ前 1117 【500㎖・2ℓ セット】
▼ 樵のわけ前 1117 【500㎖・900㎖・2ℓ セット】
▼ 樵のわけ前 1117【6回定期便:10ℓ×2箱】
▼ 樵のわけ前 1117【12回定期便:20ℓ×1箱】
▼ 垂水市 飲む温泉水 6社 定期便 🚚
▼ その他【 飲む温泉水 】たくさん取り揃えております!
お礼の品感想
甘さを感じる美味しい水
もう送ってもらって3年目。このお水だとコーヒーもおいしいし、そのままでも美味しくてゴクゴク飲んでしまいます。20Lの箱(中はビニール袋)で来るので、空になってもゴミも少ないです。
このお礼の品を選んだ理由
- おいしそう・面白そうだったから
- おいしい
- 応援したい
- オススメ
- 大満足
- リピートしたい
あかあおきいろさん|女性|50代
投稿日:2020年12月12日 16:52
3年間も垂水市にご寄附いただき、ありがとうございます!
担当の前畠です。
1年定期便のご利用、また、省資源に対するお褒めの言葉をいただき、
誠にありがとうございます。
健康や資源に対する意識が、とても高い方だとお見受け致しました!
これからもぜひ、『樵のわけ前』を続けていただけましたら幸いです。
今後とも垂水市をよろしくお願いいたします。
2021/6/1
カテゴリ |
飲料類
>
水・ミネラルウォーター
>
2.1L~
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自治体からの情報
【重要】到着後は速やかに返礼品の状態をご確認ください!
![お礼の品共通バナー](https://img.furusato-tax.jp/img/x/cities/20231129/ci_ae11daddfb54e314e1f00e6f7ceeba073422755f.jpg)
万一、返礼品に不良・破損・誤納品・容量不足などがございましたら、
到着から2日以内に写真(画像)を添付のうえ、
電子メールにてお問い合わせ先までご連絡をお願いいたします。
■お問い合わせ先
・垂水市ふるさと納税コールセンター
メール:furusato@tarumizumirai.co.jp
・垂水市役所 企画政策課 秘書広報課
メール:t_hisho@po.city.tarumizu.kagoshima.jp
日数が経ったものに関しましては、対応いたしかねる場合がございます。
ご了承のうえ、お申し込みくださいますようお願い申し上げます。
垂水市について
九つの彩り豊かに 健やかな人を育むまち 垂水
垂水市は、2018年10月で市制施行60周年を迎えました。
■垂水市は市制施行60周年!
本市は、昭和33年10月の市制施行以来、平成30年度で60周年を迎えました。
詳しい情報は、本市公式サイトからご確認ください。
https://www.city.tarumizu.lg.jp/chiiki/shise/gaiyo/siseiyouran/2018.html
■地勢について
本市は、目の前に桜島と鹿児島湾(錦江湾)を望む、大隅半島の北西部、鹿児島湾に面するほぼ中央に位置し、鹿児島市と大隅半島を結ぶ海上陸上の要所です。
北に霧島市、西に桜島、東は高隈連山を境として鹿屋市に接し、面積は、約162.12平方キロメートルで37キロメートルに及ぶ海岸線を有し、ブリ・カンパチの養殖漁業が盛んに行われています。気候は温暖で、びわ・柑橘類などの果実やキヌサヤエンドウ・インゲンなどの栽培も盛んです。
また、高隈山系を源に地底から湧き出る「温泉水」は、豊富な天然ミネラルをバランスよく含む健康飲料水として親しまれています。
■歴史について
本市の名称は、垂水城の崖下に、岩の間から清水が滴々と垂れて溜水があり、この辺一帯の唯一の飲料水であったので有名となり、この地名が起こったと言われています。
垂水島津家の元祖忠将は、薩隅日三州中興之賢太守貴久公の次弟にして、忠良入道日新公の二男であり慶長4年(1598年)に種子島から垂水へ移り垂水領主初代となりました。明治維新に至るまで約250年間、垂水を治めました。垂水島津家は、特に文教の振興に力をいれ、当時、文化面においては藩内随一と称されました。
その後、明治22年には市町村制に基づき、鹿児島県垂水村、大正13年に垂水町となり、以来、躍進を続けていましたが、昭和20年8月5日の戦火のため市街地のほとんどが消失しました。翌21年に戦災復興事務所が設置され、現在の市街地形成のもととなる都市計画が進められ、昭和30年に牛根村及び新城村と合併し、同33年10月1日に市制を施行、垂水市として第一歩を踏み出し現在に至っています。
![](https://img.furusato-tax.jp/img/x/cities/image_r/46/46214.png)
鹿児島県 垂水市