• TOP
  • 過去実績
  • 200年ぶりに生まれ変わる! 鉄炮鍛冶屋敷に伝わる「青龍鉾人形」再生プロジェクト

200年ぶりに生まれ変わる! 鉄炮鍛冶屋敷に伝わる「青龍鉾人形」再生プロジェクト

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

main_img

寄付金額 330,000

11%

目標金額:3,000,000

達成率
11%
支援人数
23
終了まで
受付終了

大阪府堺市(おおさかふ さかいし)

寄付募集期間:2024年8月1日~2024年10月29日(90日間)

大阪府堺市

プロジェクトオーナー

全国で唯一のこる江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居である「井上関右衛門家住宅」(堺市指定有形文化財)は、2024年3月3日に「鉄炮鍛冶屋敷」としてグランドオープンしました。
井上関右衛門家に伝わる資料のうち、江戸時代の祭礼で飾られた「青龍鉾人形」を鉄炮鍛冶屋敷での企画展で初公開します。
この200年前に制作された人形を後世に伝えるため、クラウドファンディングによる再生プロジェクトを行います。皆様からのご支援をお願いします。

鉄炮鍛冶屋敷に伝わる「青龍鉾人形(せいりゅうぼこにんぎょう)」

鉄炮鍛冶屋敷が位置する北旅籠町西1丁の一部は、江戸時代は「中浜一丁目」とよばれ、堺北庄の氏神である菅原神社(堺市堺区戎之町東2丁に鎮座)の氏子にあたる区域です。
旧暦8月1日(八朔)に行われる菅原神社のお祭りで出されていた鉾のうち、中浜一丁目で所有・管理していたのが「青龍鉾(せいりゅうぼこ)」です。青龍鉾本体と思われる部材や、胴掛や見送幕、龍頭をかたどった飾り、そして人形等の懸装品が、井上家に伝えられています。

青龍鉾の胴掛(井上家所蔵)

「青龍鉾人形」は、高さ約77㎝で、帯刀した女性か稚児の姿をしています。古文書や箱蓋の裏書から、中浜一丁目の人々の寄附により1824(文政7)年につくられたことがわかっています。また、古文書によると、その前年にも「青龍鉾頼母子」として町内から寄附を募っており、祭礼のための「江戸時代版クラウドファンディング」が行われていました。

青龍鉾人形と青龍鉾人形が納められている箱の蓋の裏書(赤外線写真)

制作年代が判明していることや、堺における江戸時代の祭礼の様相が垣間見えることから、大変貴重な資料ですが、経年劣化が著しい状態であるため、後世に継承していくためには修理が必須な状態です。

日本に唯一残る鉄砲鍛冶屋敷 井上関右衛門家

青龍鉾人形が伝わる井上関右衛門家は、江戸時代の堺で活躍した鉄炮鍛冶です。
井上関右衛門家住宅は、日本で唯一のこる江戸時代の鉄炮鍛冶の作業場兼住居であり、堺市の有形文化財に指定されています。

鉄炮鍛冶屋敷の外観

井上関右衛門家からは、江戸時代から近代までの約270年間にわたり、2万点以上の古文書等の歴史資料が発見されており、日本の鉄炮生産に関する資料としては質・量ともに全国有数のものです。
堺市と関西大学の共同研究調査の結果、日本の鉄炮生産の歴史を塗り替える大発見であることがわかりました。

幕末に製造された「井上関右衛門壽次作」の銘がある火縄銃

堺の町人としての井上関右衛門

井上関右衛門家は、全国の大名や瀬戸内海沿いを中心とした百姓からの鉄炮注文を受ける鉄炮鍛冶の職人としての側面だけでなく、堺の「中浜一丁目」に暮らす町人としての側面も持ちあわせていました。
三代関右衛門正次は、1760(宝暦10)年から中浜一丁目の「町年寄」(町の代表者、今でいう自治会長のようなもの)を務めており、その後、四代関右衛門為次、五代関右衛門吉次、八代関右衛門壽次の義兄・喜左衛門らも務めました。
そのような経過から、井上関右衛門家には、家業である鉄炮製造に関する資料だけでなく、今回保存修理を行う「青龍鉾人形」をはじめとした中浜一丁目の「町」に関する資料も多くのこされているのです。

中浜壱丁目水帳・絵図(井上家所蔵)

貴重な文化財「青龍鉾人形」を未来へ継承するために

人形が制作されてから今年がちょうど200年に当たることを記念し、「青龍鉾人形」を井上家から堺市へご寄贈いただき、資料を長く守り伝えるため保存修理を実施することとなりました。
堺市の祭りや歴史文化を伝える貴重な「青龍鉾人形」を後世に継承するため、みなさまのご支援をお願いします。

また、クラウドファンディング募集期間と同時期に、鉄炮鍛冶屋敷第1回企画展「青龍鉾人形のめざめ~200年の時を超えて~」を開催します。(展示期間:2024年7月31日~10月28日)
青龍鉾に関する文書や飾りの実物資料、そして初公開となる「青龍鉾人形」の修理前の姿を実際にご覧いただけます。ご支援とあわせて、鉄炮鍛冶屋敷へのご来館お待ちしております。

堺市ホームページ 企画展示ページはこちら

【寄附金の主な使途】

 鉄炮鍛冶屋敷にのこる貴重な文化財「青龍鉾人形」等を後世に継承し、たくさんの方々にご覧いただくための修理費用として活用いたします。

 ※目標金額に達する/達しないに関わらず、上記使い道へ活用させていただきます。

【これまでの取組】

2017年度:井上家より屋敷及び鉄炮が寄贈
2018年度:計画策定
2020年度:保存修理工事着工
2022年度:保存修理工事完了
2023年度3月3日:鉄炮鍛冶屋敷開館
2024年度7月:井上家より「青龍鉾人形及び箱」が寄贈

ご寄附いただいた方への特典(本プロジェクトだけの寄附者特典)

【注意事項】

※本特典を希望される方は返礼品をお選びいただくことはできません。

特典はそれぞれ1口5,000円です。
(例:10,000円寄附された場合は2口お申し込みいただけます。)

いずれの特典も堺市民の方にもお選びいただけます。
特典を希望される方は申し込み時のアンケートフォームにてどのコースの特典を何口ご希望か回答してください。

例:10,000円寄附された場合は、2口お申し込みいただけますので、Aコース1口、Bコース1口をお選びいただけます。
例:15,000円寄附された場合は、各コース1口ずつをお選びいただけます。もしくは、Aコース1口とCコース2口(2人分)をお選びいただくことができます。

★Aコース「保存修理レポート&修理過程の報告動画セット」
レポートデータと動画共有サイトに限定公開したリンクをお知らせします。(2024年度分1回、2025年度分2回の計3回程度)

★Bコース:保存修理報告書
2025年度の修理が完了した後、作成した報告書をお送りします。

★Cコース:修理完了後「お披露目会」
保存修理を終えて生まれ変わった「青龍鉾人形」を鉄炮鍛冶屋敷にて解説付きでご覧いただけます。(1口で1人に限ります。)
開催予定日時:2026年6月2日(火)14:00~17:00及び6日(土)18:00~20:00
※両日とも同じ内容です。
※やむを得ない理由により、開催日時変更などの可能性がありますのでご了承ください。

事業にかける想い

堺市長 永藤 英機

写真

堺市は、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」や中世の時代に「黄金の日日」と称されるほどの繁栄を極めた環濠エリア、堺生まれの茶人・千利休が大成した茶の湯など、日本中を見渡しても類いまれな歴史や文化、伝統を有する都市です。
環濠北部エリアに所在する「鉄炮鍛冶屋敷」は、堺の金属加工技術の歴史の中で重要な位置を占める鉄炮製造を体験できる施設として本年3月3日に開館しました。この間、鉄炮鍛冶屋敷に関するクラウドファンディングにご協力くださいました皆様、本当にありがとうございました。
この鉄炮鍛冶屋敷に伝わる「青龍鉾人形」を7月31日から10月28日にかけて初公開します。ふとん太鼓やだんじりとは趣を異にする江戸時代の堺の祭礼の様相を通じて、堺の奥深い歴史文化の一端に触れていただくことができます。
皆様からのご寄附は、200年の時を超えて現代に伝わった「青龍鉾人形」を修理し、次の時代にも大切に引き継ぐために活用します。
趣旨にご賛同いただき、皆様の温かいご支援をよろしくお願いいたします 。

兵庫県立歴史博物館館長・関西大学名誉教授 藪田 貫(やぶた ゆたか)氏

写真

歴史都市堺は南庄・北庄と大きく二つの居住区で分けられ、大小路がその境となっています。それぞれに地主神があり、南は開口神社、北は菅原神社として知られ、秋の例大祭は、町の人々によって継続され、現在ではふとん太鼓が巡行されています。
ところがこの春、鉄炮鍛冶屋敷として開館した井上関右衛門家所蔵資料の中から、菅原神社の秋の例祭では、京都の祇園祭を想起させる鉾が立っていたことを示す資料が出てきました。なかでも注目は座高70センチの人形一体で、青龍鉾と名付けられた鉾に飾られていたものです。文政7年(1824)と、制作された年も付属の古文書から分かります。中浜一丁目の住民だけの資金では足りず、頼母子講を組んでひろく資金を補填した経緯も記されています。
堺市ではこの度、生誕200年を迎えるこの人形の修復と復元に取り組みます。江戸時代の頼母子講に代わり、クラウドファンディングを実施しますが、日本の歴史文化を愛する皆さんのご支援を得て、面貌を一新した青龍鉾人形が公開される日が来るのを楽しみにしたいと思います。

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

お礼の品一覧

現在進捗情報はありません。

大阪府堺市

未来へ飛躍する自由・自治都市 堺

古代には仁徳天皇陵古墳をはじめとする百舌鳥古墳群が築造され、中世には海外交易の拠点として「自由・自治都市」を形成し、わが国の経済、文化の中心地として繁栄してきました。
戦後、臨海コンビナートと泉北ニュータウンの造成により、現在の姿に。84万人の人口を有する政令指定都市・堺は、南大阪の中核的都市として、関西の文化・経済を牽引しています。