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戦後80年 子どもたちの平和の願いを夏の夜空へ!スカイランタンプロジェクト

カテゴリー:子ども・教育 

main_img 達成

寄付金額 1,582,000

158.2%

目標金額:1,000,000

達成率
158.2%
支援人数
101
終了まで
受付終了

群馬県玉村町(ぐんまけん たまむらまち)

寄付募集期間:2025年2月28日~2025年4月30日(62日間)

群馬県玉村町

プロジェクトオーナー

令和7年8月に戦後80年を迎えますが、日本の人口の約9割が戦後生まれとなるなど、戦争の記憶の継承が課題となっており、戦争の歴史に対する意識の希薄化が懸念されています。

玉村町の未来を担う子どもたちに、戦争の歴史を伝え、平和について考えてもらうために、本プロジェクトを実施します。また、本プロジェクトは、玉村町歴史資料館開館30周年の事業としても位置付けています。

是非、本プロジェクトを応援していただきたく温かいご支援をお願いいたします!

ふるさと納税で
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ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

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結果:-

平和の願いを夏の夜空へ 平和のスカイランタンプロジェクト

「戦後80年」×「玉村町歴史資料館30周年」の節目の年

大切な人と平和のスカイランタンを夏の夜空へ

スカイランタンは、諸外国では、コムローイ、孔明灯(こうめいとう)、フライングランタンなどと呼ばれています。夜空に輝くこのランタンは、東アジアの熱気球がその源流と言われています。その幻想的な美麗さから、節句や祈祷儀式、無病息災等を祈るための用具としても広まっていきました。

戦後80年であり、玉村町歴史資料館開館30周年の節目の年に、本プロジェクトでは、未来を担う玉村町の子どもたちの平和の願いをスカイランタンに乗せ、夜空にとばします。

またプロジェクトの一環で、戦争の歴史について知ってもらい、平和について考えてもらうため、子ども向けの戦争の歴史を伝える資料やパネル等を作成し、玉村町の子どもたちに伝えていきます。

風化させてはいけない戦争の歴史を子どもたちへ

玉村町出身の兵士は中国大陸・ニューギニア・フィリピン・ビルマ(現在のミャンマー)などで戦いましたが、約600人が命を落としました。

現在の平和の背景に、玉村町にも悲惨な戦争の歴史があったことを未来を担う子どもたちに継承することは、私たちの責務であります。

玉村町の空襲

昭和19年(1944)11月から、長距離爆発機B29による日本本土空襲の回数が非常に多くなりました。激しい空襲から逃れるために、都市部の子どもたちを農村部へ疎開させる命令が出されました。

地方に親戚のいる子どもはそこへ行きましたが、いない子どもは学校単位で地方に行き、寺や公民館などで暮らすことになりました。 

疎開先では食べ物が足りないうえ、親と離れることは子どもたちにとって、とても悲しいことでした。玉村町でも常楽寺(五料)や法蓮寺(下茂木)などが疎開先になりました。

兵士を送り出す風景(現在の玉村町下新田における県道142号線)

玉村町も空襲の被害にあっており、昭和20年(1945)8月14日午後11時から15日午前0時にかけて空襲を受けました。なかでも角渕地区の被害が大きく、28人の死者はすべて角渕地区の住民でした。

空襲により焼けた主屋の柱(玉村町角渕)

子どものくらし

アメリカなどと戦争をはじめた昭和16年(1941)、それまで「尋常高等小学校」と呼ばれていた学校は「国民学校」と呼ばれるようになります。国民学校では「少国民」と呼ばれ、国のために尽くすように求められました。また、戦いに備えて、国民学校で軍事訓練も行われるようになっていきました。

戦争で大勢の男性が戦場へいったため、町や村では働く人が足りなくなりました。そこで、小学生も農家や工場に行き仕事を手伝いました。玉村町でも、桑の皮むき作業、害虫の駆除、田植えや麦刈り、軍馬用の飼料となる干草作りなどが記録されています。

飛行機工場で働く玉村高等実科女学校(現玉村高校)生徒

青い目の人形

今から約100年前、昭和時代の初め、世界の多くの国では仕事がなく、たくさんの人々が苦しんでいました。このことを心配したアメリカの世界児童親善協会から「青い目の人形」が日本各地の小学校に寄贈されました。

戦争が激しくなると、軍から焼却命令が出され、ほとんどの人形が焼かれてしまいました。しかし、可哀そうに思った人々によって隠された人形が、戦後に相次いで学校などで発見されました。その人形の一つで現存するのが玉村小学校の「ルースちゃん」です。

人形寄贈の意思は受け継がれ、昭和62年から毎年日本に人形が贈られ、平成6年には玉村小学校にも新たに青い目の人形「アンナ」ちゃんが贈られました。

スカイランタンの打上げは、戦前・戦中・戦後の子どもたちを見守り、150年以上の歴史を持ち、青い目の人形を大切に保管し平和の尊さを伝えてきた玉村小学校で行ないます。

「ルースちゃん」人形

寄附金の使い道

本プロジェクトでお寄せいただい寄附金は、以下の費用に活用させていただきます。

【寄付金の使い道】
◯子ども向けの戦争の歴史に関する資料やパネル等の作成費用等

◯平和のスカイランタン打上げにかかる費用等
 (本プロジェクトで使用予定のランタンは、日本スカイランタン協会®が意匠権を取得しております。こちらは、火を使用せずヘリウムガスで飛び、ヒモ付きのため、回収可能で環境にも優しいものです。)

※目標金額以上の寄付をいただいた場合は、町で実施する下記の戦後80年の関連事業に活用させていただきます。
・戦後80年 玉村町戦没者追悼式(令和7年8月9日(土)玉村町文化センターで実施)
・「音楽劇ヒロシマ」(上記式典終了後に実施)
・玉村町歴史資料館 戦後80年展

※目標金額に達しなかった場合、本プロジェクトの費用として活用させていただきます。


【平和のスカイランタン打上げスケジュール】
日程:令和7年7月27日(日)19時00分〜19時30分頃を予定
場所:玉村町立玉村小学校
※打上げ参加者は町内の小学生を予定しておりますが、一般の方も観覧できますので、是非会場にお越しください。
※天候によっては、日程や場所を変更する可能性があります。
※詳細が決定しだい、改めてホームページ等に掲載させていただきます。

本プロジェクトでお寄せいただい寄附金は、以下の費用に活用させていただきます。

本プロジェクトへの想い

玉村町長 石川 眞男

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日頃から、玉村町の町政にご理解とご協力をいただき、厚くお礼申し上げます。

世界が大きく動き、歴史の分岐点に立ち会っている今、戦後を生きてきた世代の者として、その「光と影」を見てきた者として、時代の傍観者でいることはできません。玉村町は、未来ある子どもたちのために、平和の意味をもう一度捉え返し、「守るべきは平和な暮らし、無くすべきは戦争と差別」という言葉を胸に刻み、平和首長会議参加自治体として平和行政を進めております。

玉村町にとって、ガバメントクラウドファンディングは初めての挑戦となります。本プロジェクトにご賛同いただき、皆さまの温かいご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

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このマークは、「平和首長会議国内加盟都市」のマークです。被爆80周年を象徴する「80」の中に、鳩と地球を配したデザイン。これらの円が繋がることで、平和への想いと各加盟都市が相互にリンクし、平和な世界を築いていくことを表現しています。

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玉村町は昭和60年に、全ての国の核兵器の全面撤廃を求め、核兵器廃絶平和都市を宣言しました。この宣言を普及・啓発するため、玉村町役場敷地内に宣言塔(看板)を設置しています。  

寄附に賛同する皆様へ

玉村町内小学生の川村くん (角渕区) 

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自分がすんでいる角渕地区で、むかし爆弾が落とされたことがあった歴史があるとおじいちゃんから聞きました。

都会にすんでいるこどもたちは、お父さんやお母さんとはなれて田舎で暮らしていたこと、食べるものがなく、おなかいっぱいごはんが食べられなかったことも知りました。

今、お父さんやお母さんたちとしあわせにくらしていて、それが普通のことだと思っていましたが、それがあたりまえではない日があったとは知らなかったです。

みんながたくさんの夢をもって、あたりまえで平和な毎日を送れる世界になってほしいです。

玉村町遺族会 島田 榮一さん

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この玉村町から、600名にも及ぶ尊い命が戦争の犠牲になられました。これらの方々は一家の中心として活躍し、またある方はその前途を期待された純真無垢の若者であったことでしょう。

戦没者の皆様は、住み慣れたこの玉村町の地を、愛する妻子や父母兄弟と離れ、遠い異郷の地で戦い、祖国と郷土の安定と繁栄を信じ、そして家族を思いつつ帰らぬ人となりました。今日の平和があるのは、戦没者の尊い犠牲によって築かれたものであることを決して忘れてはなりません。

戦後、80年の歳月が流れようとしており、高齢化が進む中で、戦没者の遺児も全て後期高齢者になり、戦争を知っている人たちは年々少なくなっています。このような状況のなかで、何とか戦争の歴史を風化させず若い世代に伝えていくことが私たち大人の使命であります。

お礼の品のご紹介

  • 2025年04月07日 08:49

    目標達成とクラウドファンディング受付の継続について

    このたび、皆様の温かいご支援により、目標金額100万円を達成することができました。誠にありがとうございます。

    本プロジェクトにつきましては、引き続き、寄付の受付をさせていただき、目標金額を超えた部分については、町で行う戦後80年の関連事業に活用させていただきます。

    応援よろしくお願い申し上げます。

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群馬県玉村町

玉村町は関東平野の群馬県南部に位置し、県央主要都市に囲まれ、町の中央北部には利根川が、南側には烏川が流れ、上毛三山の赤城山、榛名山、妙義山と浅間山等を一望できる自然豊かな地域です。歴史的に見ても、古代には約200基の古墳が点在したことが確認され、江戸時代には日光例幣使道の1番目の宿場として栄えた歴史を持つ歴史と文化が今もなお息づく町です。

北には子どもたちが集う賑わいの北部公園、東には利根川沿いの見応えある桜並木も楽しめる東部スポーツ広場、南には烏川沿いの人気のキャンプ場と水辺の森公園、西には、陸上競技やスポーツを楽しめる総合運動公園、高崎玉村ICに続く国道354号バイパスを往来する人々を迎える「道の駅 玉村宿」もあります。

玉村町は『暮らすなら、ここがいい。』を目指す将来像と定め、将来像を達成できるよう、まちづくりを進めています。