横浜で自然と歴史を体験できる、名勝庭園「三溪園」を次世代に継承したい!

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 1,330,000

33.2%

目標金額:4,000,000

達成率
33.2%
支援人数
70
終了まで
23
/ 92

神奈川県横浜市(かながわけん よこはまし)

寄付募集期間:2024年10月1日~2024年12月31日(92日間)

神奈川県横浜市

プロジェクトオーナー

三溪園は、明治末から大正末にかけて実業家・原三溪によって造成された庭園です。原三溪は、自邸の庭園の公開を通して、地域の人々に安らぎと癒しを提供していました。横浜の発展に寄り添い続けた三溪園は、日本の歴史と文化を感じることのできる横浜市の貴重な観光資源の一つであり、これからも守り続けていく必要があります。
横浜市としては、三溪園を、これからも横浜市民の皆様や、横浜を訪れる皆様に安らぎを提供できる空間として維持できるよう、引き続き支援を続けていきたいと思います。
今回は、その方法の一つとして、本プロジェクトを始動しました。皆様のご支援・ご協力の程、よろしくお願いします。

三溪園ってどんなところ?

三溪園の概要

三溪園は、横浜市中区本牧に、約175,000㎡の敷地を有する日本庭園です。緑あふれる静かな空間は、横浜の中心地にありながら、都会の喧騒を忘れてほっと一息休める時間を過ごすことができます。
園内には、京都や鎌倉等様々な地域から移築された多くの歴史的建造物があり、自然と調和した景観を楽しむことができます。年間を通して、四季折々の催事を開催しており、年間を通じて多くの方にご来園いただいています。

三溪園で過ごす時間をより快適に、居心地のいいものに

三溪園の環境改善に向けて、洋式トイレとベビーベッドを設置します!

庭園や歴史的建造物は、国や県の補助金も活用しながら適切な維持管理・修繕工事に努めていますが、今後ご来園いただいた皆様に、より快適に園内を楽しんでいただけるよう、洋式トイレとベビーベッドを設置します。

 

三溪園のご紹介

三溪園の魅力

豊かな自然が遺されている三溪園では、四季折々の表情を楽しむことができます。

<春:桜>

3月中旬~4月上旬は9種類約250本の桜が咲き誇り、原三溪の出身地である岐阜県ゆかりの桜も愛でることができます。園内には古建築と自然が調和した風情あふれる空間が広がります。

<初夏:新緑>

桜が散ると、4月中旬から5月中旬にかけて園内を様々な花々が彩り、1年で最も華やかな季節を迎えます。新緑の木々がいっぱいに広がり、初夏のさわやかな空気を感じることができます。
この景観を楽しんでもらうため、通常通行止めの通路を特別に開放しています。

<秋:紅葉>

11月下旬から12月中旬は、園内の木々が赤や黄に色づきます。新緑の季節にも開放される聴秋閣奥の渓谷遊歩道では、5月とは一変した紅葉の景色が、季節の移ろいを感じさせてくれます。

<冬:観梅会>

2月には、園内にある梅が見ごろを迎えます。100年前と変わらぬ姿と風情をとどめる臥竜梅や、横浜市と友好都市である上海市から贈られた早咲きの緑萼梅など、春の訪れをいちはやく告げる梅の花と香りを楽しんでいただけます。

そもそも三溪園ってどんなところ?

三溪園は、明治末から大正末にかけて原三溪(本名:富太郎)によって本牧に造園されました。三溪は、京都や鎌倉等様々な地域から、荒廃して消失の危機に晒されていた歴史的建造物や、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康等、歴史上の人物にゆかりのある茶室や数寄屋などを集め、移築しました。そして、これらの建物は、庭園としての景観の調和にも配慮し、綿密な計算のもとに配置されています。
現在では、園内にある歴史的建造物17棟のうち、10棟が重要文化財に、3棟が横浜市指定有形文化財に指定されています。また、2007年(平成19年)には学術上・芸術上、観賞上すぐれている点を評価され、庭園全域が国の名勝に指定されました。

三溪園を造った原三溪とは?

写真

原三溪は1868年(明治元年)8月23日に、現在の岐阜県岐阜市柳津町に生まれました。1885年(明治18年)に上京し、1891年(明治24年)、事業家として名を馳せていた原善三郎の孫娘・屋寿と結婚しました。
1899年(明治32年)、善三郎の死去により原家の家業を継ぎ、製糸・生糸貿易で大いに財をなしました。その財力を注ぎ生み出されたのが三溪園です。歴史的建造物や、仏画・茶道具などの古美術を多く収集し、また、多くの文化人との交流を通して、若い美術家たちを支援し育てたパトロンとして、日本近代美術史の興隆にも大いに貢献しました。

一方で、災害や経済恐慌等多くの災禍に見舞われた横浜や金融業界・蚕糸業を復興・救済すべく、奮闘した人物でもありました。特に、関東大震災で壊滅的な打撃を受けた横浜の復興には、私財をなげうち、自らの身を挺してこれにあたり、「横浜の恩人」と呼ばれました。
三溪園については、自邸の庭でありながら、「この明媚(めいび)な自然の風景は創造主のものであって、私有物ではない」とし、1906年(明治39年)から庭園の一部を一般市民に公開するなど当初から地域に開かれた庭園としました。

寄付金の使い道

今回のプロジェクトでは、皆様から頂いたご寄附を活用し、三溪記念館に、洋式トイレとベビーベッドを設置いたします。
三溪園には、多くの訪日外国人やこども連れの方に訪れていただいています。
広い園内を安心して楽しんでいただくために、安全で、快適な環境の整備に活用させていただきます!

◎和式のトイレを洋式化
訪日外国人や若年層の方は和式トイレを敬遠する傾向にあることから、三溪記念館の和式トイレを洋式トイレに入れ替え、来園者の方がより快適に使える環境を整備します。

◎ベビーベッドを設置
三溪記念館の女性トイレにベビーベッドは設置されていますが、幅広い層のお客様に、快適にご利用いただくため、女性用・男性用トイレ両方にベビーベッドを設置します。

※目標金額に達しなかった場合も、本プロジェクトに活用させていただきます。
※目標金額以上の寄附をいただいた場合、更に幅広い園内の受入環境整備に活用させていただきます。

【三溪記念館とは?】

三溪記念館は、原三溪の紹介や所蔵美術品の展示・紹介を行う施設で、原が数々の古建築を移築して作り上げた三溪園の外苑と内苑の境に位置しています。開放的なロビーは、入口天井のステンドグラスからは明るい日差しが差し込み、池を眺めながら心穏やかにくつろいでいただく空間として利用されています。窓ガラスから覗く池の向こうには、三溪園のランドマークである旧燈明寺三重塔を見ることができます。

三溪記念館 ロビー

三溪園の魅力

「三溪園」はこんな使い方もできます!

鶴翔閣

三溪園の中でも、代表的な建造物である鶴翔閣は、1902年(明治35年)に原三溪によって建てられた自宅であり、20年にわたる三溪園の造成の拠点となりました。現在では、結婚式や披露宴を始め、様々な用途で貸出が実施されています。
特に、自然に囲まれ、趣のある佇まいの中で執り行われる結婚式・披露宴は、新郎新婦はもちろん、参列される皆様にとっても、記憶に残り続けるひと時となります。時が過ぎたあとも、記念日や大切な日に訪れて、当時の思い出をいつまでも振り返ることができるところも、三溪園の魅力のひとつです。

<鶴翔閣で結婚式を挙式されたT.N.様より>

自分達が歳を重ねても今の姿のまま残っているような、そんな場所で式を挙げたいと思っていた中で三溪園に出会い、庭園全体の自然の豊かさ、歴史の深さ、普段は非公開の横浜市指定有形文化財という鶴翔閣の特別感に魅了され決断しました。
式当日は素晴らしい紅葉に包まれながら穏やかな雰囲気で式を行うことができ、鶴翔閣を選んで本当に良かったと思っています。
思い出の場所が、これからも多くの人に愛されて、残り続けてくれたら嬉しく思います。

「三溪園」の課題と未来像

「三溪園」が目指す庭園

写真

三溪園は、歴史的建造物と周囲の自然環境が一体となった日本庭園で季節ごとに咲き誇る花々、鮮やかな新緑や紅葉により、一年を通じて、古建築と自然が見事に調和した姿を楽しむことができます。また、創設者の原三溪の人生や、移築された古建築一つ一つの来歴、あるいは三溪が支援した芸術家とその作品など、三溪園にゆかりのある数多くの「物語」を知ることも楽しみの一つです。このような三溪園の持つ多様な魅力と歴史的・文化的価値を、国内外のできるだけ多くの皆様に知っていただくとともに、将来にわたって良い形で引き継いでいくことが我々の責務と考えています。
そのためには、古建築をはじめとした庭園全体を、開園当時の姿をできるだけ変えずに、適切に維持・保全することが不可欠です。一方、古建築を本来の用途として活用することは、茶会や句会など文化活動の振興に寄与することに加え、建築物の価値や古建築を配置した原三溪による作庭時の考えを理解するためにも重要です。
今後とも保存と活用のバランスに配慮しつつ、古建築と自然の調和美を楽しむ憩いの場、文化財の価値の理解を深める場、さらには日本文化を世界に発信する場を提供し続けたいと思っております。

三溪園 園長 海野 晋哉

今回のクラウドファンディングを通して目指すところ

三溪園は、明治から、原三溪の意向で、個人邸宅の庭園でありながら、広く一般に公開されています。本市としても、横浜にある、日本文化を堪能できる貴重な観光資源として残していきたいと考えています。
今回のクラウドファンディングを通して、三溪園の魅力をより多くの方々に知っていただき、一度行ってみたい、もう一度行きたい、と思っていただきたいと考えています。
ただ、歴史ある観光施設であるからこその課題もあり、その一つが今回の取組となっているトイレです。来園者の皆様を受け入れるうえで、設備を整えることは必要不可欠な取組ですが、多くの文化財を抱える三溪園は、歴史的建造物や庭園の維持管理等に膨大な費用が必要で、その他の設備の整備が十分に行き届いていない状況があります。せっかく足を運んでくださった来園者の皆様が、不便な思いをしないよう洋式トイレとベビーベッドを設置し、三溪園をより快適な空間にすることが、今回のクラウドファンディングの目的です。
四季の表情が色鮮やかで、自然豊かな中に風情ある古建築が点在している、他にはない魅力がある三溪園のことを知っていただき、応援したいと思っていただけたら幸いです。

横浜市 三溪園担当

お礼の品をご紹介

ご寄附いただいた市外在住の方に向けた、本プロジェクト限定のお礼の品をご紹介します。
※このプロジェクトへの寄附はふるさと納税制度の対象となります。そのため、横浜市にお住まいの方はご寄附をいただくことは可能ですが、お礼の品をお送りすることはできません。何卒ご了承ください。

【10組限定!※1組5名まで】学芸員による、三溪園スペシャルガイドツアー 「東の桂離宮」 臨春閣を堪能する

臨春閣

重要文化財・臨春閣は、三溪園を代表する歴史的建造物のひとつであり、江戸時代初期に和歌山に建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」とされ、京都にある桂離宮・修学院離宮とともに、現存する江戸期数寄屋建築の傑作といわれています。本ツアーでは、通常非公開の建物内部を、学芸員の解説付きでご案内いたします!

◎臨春閣のご紹介
臨春閣は、原三溪が他のどれよりも移築に情熱を注いだ建物です。屋根の素材や形、3つの棟を奥にずらしながら連結させた建物の配置など、外観は自らが理想とする形に変更した一方で、建物の内部は、障壁画や繊細・優美な数寄屋の意匠が施された元の状態をそのまま遺しました。。1906年(明治39年)の入手から構想、移築完了までに、 11 年の歳月を費やした臨春閣は、まさに三溪園の中でも珠玉の名建築といえます。
<軽妙・洒脱な数寄屋の意匠と部屋ごとに展開する襖絵の世界>
建物内には風流・風雅にこだわった自由な発想から生み出された数寄屋の意匠の数々が欄間や天井などの各所に凝らされています。また、テーマや画風が部屋ごとに異なる江戸期の狩野派を中心とした絵師による水墨の障壁画に囲まれた空間もみどころ。多彩に展開する風流の空間を楽しめます。 ※現在、建物には、複製を嵌め込んでいます。
<建物内から望む庭園の景観>
各部屋からは、三重塔や周辺の景観が存分に眺められ、外観の美しさだけでなく、内部から見る庭園の風景も鑑賞ポイントの一つ。移築にあたり棟の配置を変更した原三溪のこだわりが感じられます。

プロジェクトページ最下部に表示されているお礼の品にて
「【ガイドツアー】学芸員による、通常非公開の「東の桂離宮」臨春閣を堪能する、スペシャルガイドツアー」を選択してください。
■寄附金額
 697,000円以上
■開催日時
 寄附完了後に、返礼品事業者であるJTB横浜支店より、ご案内メールを送付いたします。
 ご案内メールにて開催日時を調整させていただきます。
■お申込について
 当該返礼品は10組限定の受付となっており、お申込は先着でお受けいたします。
 ご寄附いただいた方は、4名様まで同行者をお連れいただけます。

 

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

現在進捗情報はありません。

神奈川県横浜市

「ふるさと納税」は、応援したい自治体に対して寄附という形で力になれる制度です。
横浜市では、「横浜を応援したい」という気持ちを広く募っており、寄附金の活用先を25の事業・目的から選択できます。
あなたのヨコハマを想う気持ちで、ヨコハマの未来を一緒に創りませんか?