日本バレエの母エリアナ・パヴロバの顕彰碑を、いま、七里ガ浜によみがえらせる!
カテゴリー:伝統・文化・歴史
寄付金額 1,917,550円
目標金額:2,970,000円
- 達成率
- 64.5%
- 支援人数
- 83人
- 終了まで
- 受付終了
神奈川県鎌倉市(かながわけん かまくらし)
寄付募集期間:2022年8月1日~2022年10月31日(92日間)
神奈川県鎌倉市
1919(大正8)年にロシア革命を逃れて来日したエリアナ・パヴロバが1926(大正15年/昭和元)年頃、鎌倉七里ガ浜に日本初のバレエスクールを設立しました。この教室からその後の日本バレエ界を支える多くの舞踊家が巣立ち、エリアナ・パヴロバは「日本バレエの母」と呼ばれています。1986(昭和61)年、バレエスクール跡地にエリアナ・パヴロバ顕彰碑が建てられました。
海に近い立地であり、ステンレス製のアーチにはサビ・汚れがみられ、敷地内の擁壁や階段はひび割れなどがあります。
エリアナ・パヴロバをより多くの人に知っていただくことができるよう、顕彰碑をきれいな状態にして七里ガ浜によみがえらせます!
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控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。
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「日本バレエの母」エリアナ・パヴロバ
ロシア革命を逃れて初来日
エリアナ・パヴロバは1919(大正8)年にロシア革命を逃れて母ナタリア、妹ナデジダと共に来日し、主に横浜の外国人居留地で公演を行いました。
生活を支えるため、ナデジダと共に出演して、得意の演目「瀕死の白鳥」など、優美な踊りで観客を魅了します。日本人向けの社交ダンスの教師や映画出演などをして、日本人の支援も受けながら、生活していきます。
関東大震災で被災して、ナデジダが足を負傷し、震災によるビザ規制緩和等の国際的な支援をきっかけに、母子は一度日本を離れます。
再来日し、鎌倉へ定住。バレエ学校設立
その後、上海から欧米へ渡ることができず、1925(大正14)年、日本人支援者の呼び戻しに応じてまずエリアナが鎌倉で生活を始め、後に母と妹も再来日し、定住します。
1926(大正15/昭和元)年頃、鎌倉七里ガ浜に日本初のバレエスクールを設立し、バレエスクールの生徒と共に日本各地や台湾などで公演を行います。都内の稽古場や北鎌倉の学校でバレエを教え、その後、後々までパヴロバ・バレエスクールとして知られることになる新たな稽古場を建設します。
この稽古場建設にあたっても、日本人支援者が多くの支援をしています。バレエスクールの公演では、多くの創作バレエを発表し、弟子に数多くの舞台を経験させ、この教室からその後の日本バレエ界を支える多くの舞踊家が巣立ちました。このことから、エリアナ・パヴロバは日本バレエの母と呼ばれています。
日本帰化と突然の死、顕彰碑建立
1937(昭和12)年、母子共に日本に帰化し、エリアナは霧島エリ子、ナタリアは桜子(らんこ)、ナデジダは撫子(なでしこ)となりました。エリアナは帰化した際の気持ちをこのようにつづっています。
「日本に来るとき、その先どんな悲しみや幸せが待ち構えているのか全くわからず、気持ちが真っ暗だった、祖国が崩壊寸前の状態であるにもかかわらず、私はその祖国を去るしかなかった、祖国を裏切ったようだと自身を恥じています。
しかし、日本人達はみんな一生懸命私を励まし温かく迎え入れてくれ、まるで祖国にいるかのように感じさせてくれた、そして日本は私のもう一つの祖国となった」
バレエスクールは生徒が増えてエリアナの長年の夢であった「白鳥の湖」の上演を行いますが、その公演を最後に、1941(昭和16)年エリアナは慰問に行った南京で病死します。
エリアナの死後はナデジダがバレエスクールを引き継ぎましたが、ナデジダが没すると閉校し、建物は取り壊されることになります。
そしてバレエスクール跡地に、お弟子さん達の熱意により、1986(昭和61)年にエリアナ・パヴロバ顕彰碑が建てられました。
海からの潮風によって劣化した顕彰碑
海に近い立地であり、ステンレス製のアーチにはサビ・汚れがみられ、敷地内の擁壁や階段はひび割れなどがあります。
エリアナ・パヴロバをより多くの人に知っていただくことができるよう、顕彰碑をきれいな状態にしてよみがえらせます。
鎌倉市文化課から
困難な状況から祖国を離れながらも、日本人支援者に支えられて、日本を第二の祖国として多くの弟子を育て、「日本バレエの母」と呼ばれたエリアナ・パヴロバ。現在の日本バレエの発展の礎となったその功績を示す顕彰碑は、パヴロバが過ごし、多くのダンサーが巣立った鎌倉市七里ガ浜のバレエスクール跡地に建っています。
エリアナは、この地について、富士山が見えることや海が近いので風が吹くと木々が綺麗になびくこと、バレエスクールについては、教え子の公演が大変すばらしいことを記しています。
エリアナ・パヴロバの功績を伝える顕彰碑をきれいな状態にし、多くの方に訪れていただくことで、エリアナが記した七里ガ浜の自然の魅力や、日本バレエ発祥の地という文化的側面を広く知っていただきたいと考えています。市民の方にとっても、今まで十分には知られていなかった「日本バレエ発祥の地」としての鎌倉の文化的魅力を再確認いただけると思います。プロジェクトにご賛同いただければ幸いです。
事業の実施スケジュール
2023年1月頃着手し、同3月頃に修繕完了を目指します!
寄附金の使い道
エリアナ・パヴロバ顕彰碑の修繕にかかる費用として活用させていただきます。
アーチ部分のサビを洗浄、敷地内の階段、壁を直し、新たな説明板を設置したいと考えています。
寄附者のみなさまへ
鎌倉市長 松尾 崇
皆さんもご存じの通り、現在、バレエは日本各地で親しまれていますが、その礎を築いた「日本バレエ発祥の地」が鎌倉であることは、あまり知られていません。
1926年(大正15年)頃、エリアナ・パヴロバが鎌倉に日本初のバレエスクールを開きます。パヴロバの指導を受けた門下生たちは、その後の日本のバレエ界の発展に深くかかわっていくことになります。
彼女の教えを受けた方々の発案によって、エリアナ・パヴロバの功績を周知し、後世に伝えていこうと、エリアナ パヴロバ顕彰会が組織され、1986年(昭和61年)に顕彰碑が建立されました。その後、顕彰碑は市に寄贈され今日に至りますが、30年を超える年月を経て、修繕が必要な状態にあります。
顕彰碑をきれいな状態にして皆さんにご覧いただき、バレエを日本に根付かせていった人々の歴史とその土壌を育んだ鎌倉の魅力を感じていただけるよう、皆様からの温かいご支援ご協力をお願い申し上げます。
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2022年11月25日 14:18
【御礼】
令和4年10月31日をもって寄附金の受付を終了いたしました。
83名の方々から、190万7500円ものご寄附をいただきました。
ご協力賜りました全ての皆様に感謝申し上げます。
ご寄附いただいた寄附金につきましては、エリアナ・パブロバ顕彰碑の修繕にかかる費用として、アーチ部分のサビを洗浄、敷地内の階段、壁の修復、新たな説明板の設置等に活用させていただきます。
修繕の完了は、令和5年3月を予定しています。修繕完了後に、ぜひお立ち寄りいただき、引き続きのご支援をお願いいたします。もっと見るまだコメントはありません
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神奈川県鎌倉市
鎌倉は、日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めての武家政権を樹立し、幕府を開いた場所です。鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心地となり、当時の築港である和賀江島を通じて中国との交易が盛んに行われ、禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化がもたらされました。それらは長い年月のなかで守り続けられ、今日でも多くの寺社仏閣などの歴史的遺産、海や山などの豊かな自然環境に恵まれています。
また、生活の中で、季節や日本文化を感じることができる魅力的なまちです。
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