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伊奈氏、利根川東遷するってよ 伊奈忠次の功績を顕彰する特集冊子を作成します!

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 206,000

15.6%

目標金額:1,320,000

達成率
15.6%
支援人数
12
終了まで
受付終了

埼玉県伊奈町(さいたまけん いなまち)

寄付募集期間:2022年4月15日~2022年7月13日(90日間)

埼玉県伊奈町

プロジェクトオーナー

埼玉県内最大のバラ園のある埼玉県伊奈町の町名の由来となった人物をご存じでしょうか? 徳川家康に仕えたその人物の名は、伊奈備前守忠次。現在の埼玉県伊奈町小室に陣屋を構えた戦国時代から江戸時代初期にかけての激動の時代を駆け抜けた人物です。

伊奈町の町名の由来となった伊奈備前守忠次のさらなる顕彰のため、月刊「江戸楽」で伊奈備前守忠次公の巻頭特集を組み、誌面の抜き刷り版を作成します。

本事業は、国交付金事業により発足した忠次プロジェクト推進協議会で実施します。

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

伊奈町長からのメッセージ

伊奈町長 大島 清

みなさん、こんにちは。伊奈町長の大島清でございます。
今回、伊奈町の町名の由来となった伊奈備前守忠次公の功績を広く全国のみなさんに知っていただきたいという強い思いで特集冊子を作成する事業を企画いたしました。私自身、郷土の偉人である伊奈忠次への思い入れは非常に強く持っております。徳川家康とともに、江戸の礎を築いたことはもちろんですが、農民に慕われる明るい未来を描いた政治家であったことも見習うべき点が多く敬意を持っております。
忠次が残した多くの功績を、ぜひ皆様にも知っていただきたい思いでございます。
皆様の温かいご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

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町名の由来となった伊奈備前守忠次

水害から守り、安心して暮らせる世を目指して

忠次は、家康の関東入国に付き従うと、代官頭として武州小室・鴻巣領など1万3千石(1万石とも)を与えられ、小室郷に陣屋を構えました(現在の伊奈氏屋敷跡)。忠次は、ここを拠点に利根川や荒川流域の治水・利水工事と新田開発、検地の実施、街道の整備に力を発揮するなど、徳川家の関東支配の基盤を築いた人物です。

江戸幕府の基盤固めに多大な功績を残した、伊奈忠次をより多くの人に知ってもらいたい。その思いで、今回のプロジェクトを企画しました。

伊奈忠次は家康により関東郡代を命ぜられる。
利根川東遷工事を行う。
3代に渡り受け継がれ60年かかって完成。
彼の功績は江戸幕府財政の基礎を定めたことで、その検地微税の方法、すなわち、検地の方式は伊奈流と言って江戸幕府地方の基本となった。
伊奈忠治は忠次の次子。
関東郡代を嗣ぎ、父忠次と同じく新田の開発、河川の付け替え、港湾の開さく等に努めた。
幕府統治体制確立の重要な時期に郡代兼勘定奉行として民政に尽くした功績はきわめて大きい。

国土交通省 関東地方整備局 利根川上流河川事務所ホームページより

伊奈地域の民生の安定や生産力の向上に貢献

功績を残した伊奈忠次を知ってもらいたい

多大な功績を残した伊奈忠次ですが、その知名度はまだまだ高いとは言えません。
伊奈町では関係団体等と連携して、様々な取組を実施してきましたが、改めて伊奈忠次の功績をより一層多くの方々に知ってもらい、今に通じる伊奈忠次の考え方を全国のみなさんに知ってもらいたい。そして伊奈忠次が住んでいた町・伊奈町を広く町内外にPRしたい。その思いで、様々な角度から多くの歴史上の人物に焦点を当てる特集を制作した実績のある月刊『江戸楽』で伊奈忠次を特集する企画を立ち上げました。

月刊『江戸楽』とは

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2009年に創刊した文化情報誌です。
遊び心と美があふれる「江戸」の伝統と文化。今の私たちの生活が江戸にあると言っても過言ではないでしょう。江戸にまつわる様々なエッセンスを紹介するだけでなく、「国際性」「教育」「環境」といった視点を”縦糸”に、そして衣食住といった身近な話題を“横糸”に、二つの糸が織りなす雑誌を目指します。誌面を通じて私たちが提案するのは、江戸から学び現代に活かすことができる「21世紀の日本人のライフスタイル」です。

寄付金の使い道

皆さまから頂いたご支援は、伊奈備前守忠次のさらなる顕彰のため、月刊『江戸楽』、で伊奈備前守忠次公の巻頭特集を組み、誌面の抜き刷り版の作成に活用させていただきます。

※目標金額に達しなかった場合も、本事業は実施いたします。

徳川家の関東支配の基盤を築く

江戸というグランドデザインを構築

天正10年(1582)の本能寺の変を機に、忠次は小栗大六の与力となり家康に帰参し、同14年(1586)の駿府移城に伴い、家康の近習となり、五ヶ国総検地など、農政・民政で活躍し重用されていきました。同18年(1590)の小田原北条氏攻めでは、駿河・遠江(静岡県)、三河3国の道路・船橋普請、兵粮輸送、荒廃した伊豆国(静岡県)の農村復旧などに功績を挙げました。そして、慶長4年(1599)には、従五位下備前守に任じられ、同8年(1603)徳川幕府が成立すると、全国の代官支配にあたるようになりました。さらに同12年(1607)家康が駿府城に移ると2代将軍・秀忠の政権中枢に参画し、単なる代官としての立場を超え、広範な権限を持つようになりました。今も関東各地に残る備前渠や備前堤と呼ばれる水路や堤防は、忠次の官位「備前守」に由来しています。同15年(1610)6月に61歳で、その生涯を閉じました。現在の埼玉県鴻巣市にある勝願寺に葬られました。

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伊奈町の上越新幹線と東北新幹線が分岐する場所からほど近い場所に、関東郡代伊奈氏の祖、伊奈忠次の陣屋跡「伊奈氏屋敷跡」(埼玉県指定記念物(史跡))があります。

インフラ整備をはじめ、幕府の下支えをする地味な仕事を行ってきた忠次ですが、インフラの大切さや「自然との共生」が叫ばれている現代社会にこそ、光の当たるべき人だと思います。(東京学芸大学名誉教授・大石学 氏)

町制施行50周年記念伊奈町町勢要覧より

現在進捗情報はありません。

埼玉県伊奈町

埼玉県のほぼ中南部にあり都心から40kmの首都圏近郊地帯に位置しています。
東は蓮田市、西は上尾市、北は桶川市に接する東西に2.5km、南北に7.5km、面積14.79平方キロメートルの概ね楕円形で標高8m~18mの沖、洪積層からなる肥沃な平坦地である。かつては、米麦中心の純農村地帯であったが、現在は都市化の波とともに人口が急増し、新しいまちづくりが進められる中に落葉果樹類が栽培され、特に梨・ぶどうは埼玉県の主産地として名声を博しています。

町内各地には、旧石器時代から近世までの各時代の遺跡が分布し、土器や石器などの遺物も出土しており、原始から人々が生活の場としていたことがわかります。伊奈備前守忠次は、徳川家康が江戸に領地替えされたとき、ともに関東にやってきました。天正18年(1590年)、それまでの軍功によって武蔵国小室・鴻巣の1万3千石を賜り、その館を小室領丸山(大字小室)に築きました。代官頭として関八州の天領(幕府の直轄地)を治め、関東地方の勧業治水に貢献した。町名はこの伊奈氏の功績にちなんだものです。

明治8年に小室宿村、別所村、本村(山田村)、丸山村、小貝戸村、柄山村、中荻村、柴村の8か村が合併して、小室村が発足しました。同22年には大針村、羽貫村、小針新宿村、小針内宿村の4か村が合併して、小針村が発足しました。その後、昭和18年自治体の強化を期して、小室村、小針村が合併し伊奈村となり、同45年町制を施行しました。昭和58年には、伊奈町と大宮市(現さいたま市)を結ぶ埼玉新都市交通伊奈線が開通しました。

令和2年(2020年)には、昭和45年(1970年)の町制施行から50年を迎えました。
「ずっと住みたい 緑にあふれた キラキラ光る 元気なまち」を目指し、21世紀にふさわしい新たなまちづくりが進められています。