日本を代表する哲学者・西田幾多郎博士の偉業を記念する歌碑を復活させる!

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 235,000

5.8%

目標金額:4,000,000

達成率
5.8%
支援人数
10
終了まで
70
/ 90

神奈川県鎌倉市 (かながわけん かまくらし)

寄付募集期間:2021年6月1日~2021年8月29日(90日間)

神奈川県鎌倉市

プロジェクトオーナー

西田幾多郎博士は日本を代表する哲学者であり、京都学派の中核です。1928年、58歳で京都大学を定年退官した西田幾多郎博士は、1945年に死去するまで、夏と冬を鎌倉で、春と秋を京都で過ごすようになりました。

鎌倉市では、その西田幾多郎博士の記念歌碑及び案内板を国道134号線沿いの稲村ガ崎にある海を臨む公園用地に設置していましたが、2019年の台風第19号の波で周辺の土砂が流され、安全確保のため記念歌碑等を移動し、現在は公開していない状況です。

このプロジェクトは、西田幾多郎博士の偉業を長く後世に伝えていけるよう、西田幾多郎記念歌碑及び案内板を鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区に再設置するプロジェクトです。

神奈川県鎌倉市

鎌倉市は日本における古代から中世への転換期において源頼朝をリーダーとする武家が、日本で初めての武家政権を樹立し、幕府を開いた場所です。

鎌倉は政治、軍事、外交、文化などあらゆる面で日本の中心地となり、当時の築港である和賀江島を通じて中国との交易が盛んに行われ、禅宗、禅宗様建築、仏像彫刻、彫漆など様々な中国文化がもたらされました。それらは長い年月のなかで守り続けられ、今日でも多くの神社仏閣などの歴史的遺産、海や山などの豊かな自然環境に恵まれています。

また、生活の中で、季節や日本文化を感じることができる魅力的なまちです。

GCFプロジェクト進捗情報一覧

現在進捗情報はありません。

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ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

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結果:-

 

台風で被災した西田幾多郎博士の記念歌碑等を再設置したい!

日本を代表する哲学者「西田幾多郎博士」の記念歌碑

被災前の様子

晩年を鎌倉で過ごした西田幾多郎博士は、鎌倉の海にまつわる短歌をいくつも残しました。彼の没後、その偉業を記念するために、歌のひとつを御影石に彫った歌碑が七里ヶ浜に建立され、その後、稲村ガ崎の国道134号沿いに移設されました。

 

台風被害による一時撤去。再設置に向けて。

被災直後の記念歌碑及び案内板

しかしながら、2019年10月に発生した台風第19号の被害により周辺の土砂が流されてしまった影響で、記念歌碑及び案内板は安全確保のため移動し、現在は鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区で保管しています。

数々の学者、文化人を友人に持ち、多くの人々に愛されてきた西田幾多郎博士。その偉業を、今後も市民の方々はもちろん、鎌倉を訪れる方々にもご覧いただき、憩いの時間を過ごしていただきたく、記念歌碑等を稲村ガ崎に再設置し、公開したいと思っています。

 

西田幾多郎博士と歌碑について

様々な学問に影響を与えた「西田哲学」

西田幾多郎博士(1870-1945)は、現在の石川県かほく市に生まれ、日本最初の独創的な哲学書『善の研究』をはじめとする多くの著作を残しました。彼が残した「西田哲学」と称されるその思想は、哲学のみならず、様々な学問分野に影響を与えています。

 

鎌倉を愛した西田幾多郎博士

「七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも」

海岸から望む伊豆の山々に沈む夕日

58歳で京都大学を定年退官した西田幾多郎博士は、1945年に死去するまで、夏と冬を鎌倉で、春と秋を京都で過ごすようになりました。

鎌倉は古くから観光地として親しまれてきましたが、一方で別荘地や住宅地としての人気も高まり、昭和に入ってからは作家や文人たちが多く移り住み、「鎌倉文士」という言葉も生まれました。

西田幾多郎博士にとって鎌倉は、気候が穏やかで愛する海があり、親友・鈴木大拙が住んでいたということに加え、「人世の悲哀を感ずることも多く、我々の宗教心を動かし易い」ことが魅力的だったようです。

短歌に込められた思い

「七里濱 夕日漂ふ波の上に 伊豆の山々果し知らずも」

東京にいる時と比べ鎌倉にいると、ゆったりした時が流れている。急がなくてもいい。あわてなくてもいい。そんな気分にしてくれるのが七里ガ浜である。

今、藁の上に寝ころんでいる。今、夕日が沈み波の上は赤く光輝いている。

山側では、富士山のシルエット、その右には丹沢、手前に箱根、左に天城山から伊豆半島全てが影絵のように浮かび上がる。そして、自分の小天地に入り、瞑想の世界に入って行く。

今日も一日が無事に終わろうとしている。私の人生は波乱万丈であった。その苦悩の果て今は安らぎを感じさせてくれる。


【出典・・尾崎佐永子著「鎌倉百人一首を歩く」】

鎌倉歌碑の原本(この歌が碑に刻まれています。)
稲村ガ崎の海岸を歩く西田幾多郎博士

 

記念碑を建立した人たち

記念歌碑除幕式の様子(帽子を被っている人物が鈴木大拙)

西田幾多郎博士は哲学者であるとともに、詩人でもあり、終生で200首ほどの短歌を残しています。

碑に刻まれた歌は1935年、西田幾多郎博士が65歳頃の作であり、碑は彼の没後、安成三郎が発案し、鈴木大拙や和辻哲郎、川端康成らが発起人となり建立されました。

設計は、神奈川県立近代美術館旧鎌倉館等の数多くの作品を世に送り出した建築家・坂倉準三です。

 

西田幾多郎博士に思いを馳せて

七里ヶ浜に建立された当初の記念歌碑

今回、記念歌碑の再設置を予定している鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区は、江ノ島電鉄線稲村ヶ崎駅から徒歩5分ほどの場所に位置し、碑に刻まれている歌のとおり、伊豆の山々が遠く臨め、夕日が七里ヶ浜の海にちらつきながら沈んでいく様子を見ることができます。

西田幾多郎博士の人生は、火災で家を失ったり、父親が事業に失敗して破産するほか、姉弟や子供を早くに亡くすなど、波乱万丈なものでした。そんな西田幾多郎博士が晩年の安住の地として鎌倉を選んだのはどのような思いからだったのでしょうか。

ぜひこのプロジェクトにご賛同いただき、移設された歌碑を眺めつつ西田博士に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

 

事業の実施スケジュール

2022年3月までの工事完了を目指します!

寄附金の使い道

西田幾多郎記念歌碑及び案内板の再設置に係る費用として活用させていただきます。
※ 目標金額に達しなかった場合も、いただいたご寄附は再設置に係る費用に大切に活用させていただきます。
※ 鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区は国指定史跡となっているため、埋蔵物等の状況によっては設置場所が変更になることがあります。

鎌倉海浜公園稲村ガ崎地区の様子(記念歌碑等をビニールシートに覆って保管しています。)

寄附金の使い道

30,000円以上のご寄附であなたのお名前を刻めます!

また、30,000円以上のご寄附をくださった方については、案内板裏面に氏名(ニックネーム可)を刻ませていただきます!(辞退も可能です)

ぜひプロジェクトにご賛同いただき、西田幾多郎博士が愛した鎌倉にあなたのお名前を残しませんか。

※ご希望の記名内容がこのプロジェクトの目的に沿わないものであった場合、変更をお願いすることがございます。

 

寄附者のみなさまへ

鎌倉市長 松尾 崇

西田博士にとって、鎌倉はその生涯を閉じた地であり、故郷のかほく、壮年期を過ごした京都とともに博士を語る上で欠くことのできない地です。

このような中、西田博士の足跡を示す歌碑が、台風の被害により、現在、残念ながら皆様にご覧いただけない状態となっています。西田幾多郎記念歌碑再設置のプロジェクトを通じて、景色がすばらしい公園の、皆様が気軽に立ち寄れる場所に、歌碑をもう一度立てなおし、改めてその功績を広く知っていただきたいと思います。

皆様からの温かいご支援ご協力をお願い申し上げます。

 

このプロジェクトを企画するにあたって

このプロジェクトを始めるに当たっては、石川県西田幾多郎記念哲学館から写真等の所蔵資料の使用についてご許可をいただくとともに、プロジェクト内の文章についてご確認いただきました。多大なご協力に対しこの場を借りて御礼申し上げます。


  • GCFとは?

このプロジェクトへの応援メッセージ

  • これを契機に西田幾多郎の遺宅、寸心荘についても何か支援できればと思います。西田幾多郎が鎌倉に住んでいたことは、鎌倉市民にさえも知られていません。親友の鈴木大拙も鎌倉の住民でした。「鎌倉と文学」の結びつきは有名ですが、「鎌倉と哲学」のイメージはほとんどの人が持っていないと思います。鎌倉の新たな魅了を「哲学」から引き出し膨らませることもできると思います。

    2021年6月18日 8:45

  • 西田博士の歌碑が保存、公開されることはうれしい限りです。。

    2021年6月11日 10:14

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