行徳の塩復活プロジェクト
カテゴリー:伝統・文化・歴史
寄付金額 27,000円
目標金額:1,000,000円
- 達成率
- 2.7%
- 支援人数
- 4人
- 終了まで
-
89日
/ 90日
千葉県市川市(ちばけん いちかわし)
寄付募集期間:2026年8月26日~2026年11月23日(90日間)
千葉県市川市

かつて行徳地区は、塩田が広がる一大製塩地として大いに栄えていました。この歴史的文脈をふまえ、現代に「行徳の塩」を復活させるプロジェクトを始動します。
塩の復活によって、市民の皆様が郷土への理解と愛着を深められるとともに、街の認知度向上や地域の活性化を図ります。
伝統を未来へ繋ぐため、塩づくりの再現に必要な費用を募ります。
皆様からのあたたかいご支援・ご協力をお待ちしております!
皆様と一緒に「行徳の塩」を復活させたい!!
行徳の歴史
市川市は千葉県の北西部に位置し、江戸川を挟んで東京都に隣接しています。
市の南部は「行徳地区」と呼ばれ、昭和30年代に市川市と合併するまでは行徳町、南行徳町という2つの自治体でした。
行徳は東京湾に面しており、干潟が広がるという地の利も生かして古くから塩づくりが行われていました。
(室町時代・小田原北条氏の支配下において、年貢として塩を納めていたことが記録に残っています。)
徳川氏の支配下となってからは、幕府は直轄領として塩田開発に力を入れ、行徳は江戸の町の暮らしを支える「製塩」と「流通」の拠点として大いに栄えました。
ところが江戸時代中期以降になると、塩田に使う砂の塩分濃度が低下していったことに加えて、他の製塩地との競合や度重なる自然災害などもあり、行徳の塩づくりは緩やかに衰退していきました。
荒浜は水田やハス田、海苔の干し場に置き換えられ、その後大正時代には江戸川放水路が開削されました。
戦後になると大規模な埋立てや区画整理、鉄道(東京メトロ東西線)の開通などによって急速な宅地化が進み、街の風景は大きく様変わりしました。
現在は区画整理後に付けられた地名の一部(「本塩」「塩焼」など)にかつての名残りを残すのみとなっており、古文書や図絵以外で「行徳塩田」の様子をうかがい知る機会はほとんどありません。
私たちが住む「行徳」は、こんな特別な歴史を積み重ねてきた地域です。
「行徳の塩」は当時の主要な産業であり、歴史にその名を刻む特産品であり、いわば地域の誇りでもありました。
その「行徳の塩」を、可能な限り当時の製法を取り入れながら現代によみがえらせることで、「行徳の塩」のことをもっと知ってほしい。
そして、地域の過去・現在・未来をつなぐアイデンティティとして「行徳の塩」にあらためてスポットライトを当てたい。
そんな思いから、私たちは「行徳の塩復活プロジェクト」に挑戦します。
趣旨にご賛同いただける皆様からの温かいご支援を、心からお願い申し上げます。
寄附金の使い道
いただいた寄附金は「行徳の塩」の製造のほか、地域のまちおこしに活用させていただきます。
※このクラウドファンディングでは、約20kg程度の製造を予定しております。
寄附特典
特製カード付きお礼状
昔の製法を再現した塩づくりをご紹介
海水の汲み上げ
まず初めに、原材料となる行徳沖の海水を汲み上げます。
その際、濾過フィルターを通すことによって、きれいな海水をポリタンクに溜めていきます。
塩田を再現
底の浅い容器(トロ舟)と行徳沖の砂を使って昔の塩田を再現します。
砂の上に海水を撒き、蒸発を繰り返すことで砂の表面に白い塩の結晶が形成されます。
塩がついた砂に海水を注ぎ、濃い塩水(かん水)を作ります。
釜で一気に煮詰める
大きな釜(古くは石釜や鉄釜など)にかん水を入れ、薪をくべて煮詰めます。
水分が蒸発すると、釜の底に真っ白な塩の結晶が沈殿します。
塩の完成
余分な水分や苦汁(にがり)をじっくりと抜けば、ついに「行徳の塩」の完成です。
プロジェクトを応援する皆様へ
市川市からのメッセージ
「行徳の塩」の復活に向けて、皆さまからのあたたかいご支援・ご協力をお待ちしております!
※税控除等の対象となります。
※市川市民もご寄附いただけます。
ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!
ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。
控除上限額かんたんシミュレーション
現在進捗情報はありません。
千葉県市川市

市川市は、昭和9年に県内3番目の市として誕生しました。千葉県西部に位置し、人口は約50万人、面積は、56.39平方キロメートルのまちです。
江戸川を隔てて東京都と隣接しながらも、緑地と水辺の自然環境に恵まれており、北部では梨栽培などの農業も盛んです。南部は東京湾に臨み、京葉工業地帯の一翼を担っています。
また、曽谷貝塚や下総国府・国分寺などの史跡が点在し、真間の手児奈の伝説は万葉集に詠まれるなど、歴史と文化のまちとして発展してきました。
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