【第2弾】平櫛田中応援プロジェクト「平櫛田中旧宅を後世に残すために」
カテゴリー:伝統・文化・歴史
寄付金額 2,015,500円
目標金額:5,000,000円
- 達成率
- 40.3%
- 支援人数
- 133人
- 終了まで
- 受付終了
東京都小平市(とうきょうと こだいらし)
寄付募集期間:2024年4月27日~2024年7月25日(90日間)
東京都小平市

平櫛田中彫刻美術館の記念館は、彫刻家・平櫛田中が暮しその生涯を終えた旧宅です。
昭和43年(1968年)の竣工から56年が経過し老朽化が著しい状況であり、令和元、2年度に実施した耐震診断では、基準を大きく下回る結果となりました。以来、内部への立ち入りを禁止し、一部分の公開としてきましたが、令和5年度に耐震補強・改修工事の設計を行ない、このたび工事を実施することとなりました。
近代彫刻の巨匠が過ごし制作した記念館を後世へ保存し再び活用するため、皆様のご協力をお願いいたします。
【第2弾】平櫛田中応援プロジェクト「平櫛田中旧宅を後世に残すために」
彫刻家 平櫛田中

明治5年(1872年)に現在の岡山県井原市に生まれ、明治15年(1882年)に現在の広島県福山市の平櫛家の養子となりました。
青年期に働きに出た大阪で美術に目覚め、人形師の中谷省古に入門して彫刻を学び、さらに上京して高村光雲の門下生となりました。
それ以降は美術界の指導者・岡倉天心、臨済宗の高僧・西山禾山との交流を通じて自己の彫刻の表現を模索し、仏教説話と中国の故事などを題材としながら深い精神性を感じさせる作品を制作しました。
大正期はモデルを使った塑造の研究に励み、その成果を《転生》や《烏有先生》などにおいて示し、昭和初期以降は、邪道と見なされていた彩色の使用を試みながら「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求め、国立劇場のホールに飾られる絢爛豪華は《鏡獅子》において結実しました。昭和30年(1962年)には、彫刻界での功績によって文化勲章を受章しました。
晩年になっても意欲的に活動を続け、昭和54年(1979年)に東京都小平市の自宅で亡くなりました。

平櫛田中が晩年を過ごした旧宅〈記念館〉の耐震補強・改修工事にご協力ください!

平櫛田中彫刻美術館の記念館は、彫刻家・平櫛田中が暮しその生涯を終えた旧宅です。昭和43年(1968年)の竣工から56年が経過し老朽化が著しい状況であり、令和元、2年度に実施した耐震診断では、基準を大きく下回る結果となりました。以来、内部への立ち入りを禁止し、一部分の公開としてきましたが、令和5年度に耐震補強・改修工事の設計を行ない、このたび工事を実施することとなりました。近代彫刻の巨匠が過ごし制作した記念館を後世へ保存し再び活用するため、皆様のご協力をお願いいたします。
記念館(平櫛田中旧宅)について
彫刻家・平櫛田中が晩年の10年を過ごした自宅です。長らく台東区桜木町に住んでいた平櫛田中は玉川上水の風景を気に入り、将来の隠居場所として小平の土地を購入しました。戦前に土地を購入してから30年以上の後に、建築家・大江宏による設計で家を建て小平に引っ越してきました。移り住んできた当時の年齢にちなみ、田中自ら邸宅を「九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)」と名付けました。田中の没後は昭和59年(1984年)に記念館として開館し、その後平成6年(1994年)に展示館を新築して現在は二館併設の美術館として一般公開しています。記念館は令和4年(2022年)に東京都選定歴史的建造物に選定されました。

記念館のあゆみ
昭和43年12月 記念館(平櫛田中旧宅)竣工
昭和54年12月 平櫛田中永眠
昭和59年10月25日 「小平市平櫛田中館」開館
平成18年4月1日 「小平市平櫛田中館」を「小平市平櫛田中彫刻美術館」と改称
平成18年11月1日 市へ記念館が寄附される
令和4年7月 記念館が東京都選定歴史的建造物に選定される
旧宅での平櫛田中の暮らし



寄付金について
寄付金の使い道
平櫛田中が晩年を過ごした旧宅(記念館)の耐震補強・改修工事をするために必要な費用として活用させていただきます。
※目標金額に達しなかった場合、また、目標金額以上の寄付をいただいた場合でも、上記の費用に大切に活用させていただきます。
オリジナルお礼の品
これまで小平市平櫛田中彫刻美術館が刊行した図録や美術館に所蔵されている作品をモチーフにしたオリジナル商品をセットにした返礼品をご用意しました。

図録 「彫刻コトハジメ」
発行年:2018年
ページ:164P
サイズ:A4判変形(縦29.7cm、横22.0cm)
※写真はイメージです。

図録 「ロダンと近代日本彫刻」
発行年:2016年
ページ:158P
サイズ:A4判変形(縦29.7cm、横21.0cm)
※写真はイメージです。

図録 「ジャパニーズ・ヴィーナス 彫刻家・藤井浩祐の世界」
発行年:2014年
※この図録は、小平市平櫛田中彫刻美術館所蔵作品101点を掲載した「平櫛田中作品集」とセットになります。
※写真はイメージです。

図録 「仏像インスピレーションー仏像に魅せられた彫刻家たちー」
円空「不動明王二童子像」、木喰「馬頭観音菩薩」、高村光太郎「手」、オーギュスト・ロダン「考える人」、植木茂「トルソ」、舟越桂「言葉を聞く山」、戸谷成雄「双影塊」、三沢厚彦「Dog 2003-02」など67点を掲載。
発行年:2008年
ページ:167P
サイズ:A4判変形(縦29.8cm、横22.0cm)
※写真はイメージです。

図録 「石井鶴三展」
石井鶴三「中原悌二郎氏像」、「保田龍門像」、「泣く子」、「荒川嶽頭部」、「噴水盤試作」など43点を掲載。
発行年:1999年
ページ:31P
サイズ:A4判変形(縦29.7cm、横21.0cm)
※この図録は、小平市平櫛田中彫刻美術館所蔵作品101点を掲載した「平櫛田中作品集」とセットになります。
※写真はイメージです。

クリアファイル大(A4サイズ・縦31cm×横22cm)
蒔絵風シール(シールカット部分:縦4cm×横4cm、台紙:縦9cm×横6cm)
※商品について、絵柄等は選べません。
※写真はイメージです。

絵はがきセット(1セット6枚)
※商品について、絵柄等は選べません。
※写真はイメージです。
寄付者のみなさまへ
小平市平櫛田中彫刻美術館館長 平櫛弘子

クラウドファンディングの実施にあたって
九十八叟院(きゅうじゅうはちそういん)(記念館)は昭和43年(1968年)の12月に竣工し、翌年正月を過ぎてからお客様を招いて邸内をご覧いただきました。お客様は設計者の大江宏、舞踊家の武原はん、日本画家の奥村土牛、美術評論家の今泉篤男など当時の著名な方々でした。この建物は平屋ですが、床の高低により微妙なレベルの違いが表れ、それが建物や屋根の瓦に波のようなうねりを生んで、美しい外観を創り出しています。祖父は段差のある邸内をすいすいと案内し、「この建物は私より(岡倉)天心か(横山)大観にふさわしい」などと言っていましたが、やがて「小平の家が一番」が口癖のようになりました。数え109歳を間近にした昭和54年(1979年)12月30日、仏壇の薬師如来が見守る部屋で亡くなりました。祖父生前の息づかいが感じられる記念館を後世に伝えていきたいと願っています。
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2024年08月08日 18:13
【御礼】ご協力いただき、誠にありがとうございます。
7月25日(木)をもちまして、寄附の受付を終了いたしました。皆様からあたたかなご支援をいただいたこと、大変うれしく思っております。
令和2年度より旧宅の公開を制限して以来、内部を見ることができないことを惜しむ声が多くありました。同じく寄附を募集した令和5年度の設計事業と今回の工事事業においてより高い関心が寄せられ、貴重な文化財産である平櫛田中旧宅を保存し活用していくことへのご理解をいただけるようになったかと思っております。いただいた寄附金は大切に活用させていただきます。
本工事は令和6年度秋頃より開始し、令和7年度中の完了を予定しております。工事期間中は、旧宅は完全に閉鎖となりますが、工事後は皆様に平櫛田中の暮した邸宅を再びご覧いただけるよう取り組んでまいります。
このたびは、誠にありがとうございました。
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東京都小平市

小平市は、東京の都心から西側26km付近に位置し、面積は20.51㎢です。都心から鉄道で約25分のアクセスのよいまちです。本格的な集落や農地の開発は、江戸時代の玉川上水の開通(1654年)をきっかけとして始まりました。玉川上水から用水を引き、農業や生活のために利用することで、江戸の近郊農村として開発が進みました。
現在は、都市農業を活かした農業体験やオープンガーデンといった、既存の農空間や緑地空間を活かした観光が盛んに行われています。とくに小平市はブルーベリーの栽培発祥の地として知られています。
玉川上水沿いを含め、市をぐるりと一周する「小平グリーンロード」は、水と緑の散歩道として親しまれています。小平市は緑が多く、くつろぎと居心地の良さがある「東京プチ田舎」です。
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