明治・近代化の「煉瓦」を焼いた、ホフマン輪窯をよみがえらせる!
カテゴリー:観光・PR
寄付金額 6,320,000円
目標金額:3,000,000円
- 達成率
- 210.6%
- 支援人数
- 422人
- 終了まで
- 受付終了
埼玉県深谷市(さいたまけん ふかやし)
寄付募集期間:2017年3月2日~2017年3月31日(30日間)
埼玉県深谷市

深谷市には、「ネギ」だけでなく、「煉瓦」もあるのはご存知でしょうか?市内には、深谷出身の「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一翁が関わった日本煉瓦製造株式会社の煉瓦工場がありました。煉瓦工場では、機械による煉瓦の大量生産を初めて行い、東京駅、日本銀行、法務省、迎賓館、碓氷峠鉄道施設など、日本を代表する多くの建造物に使われ、日本の近代化を支えました。当時その煉瓦を焼いたのがホフマン輪窯。日本に4基しか残っていないものの一つで、最大規模を誇ります。建設から100年以上たち、老朽化や東日本大震災の影響などで、保存修理が必要となっており、まずは修理のための調査をする必要があります。保存修理をすることで、皆様にご覧いただける環境を整備し、ホフマン輪窯を現代によみがえらせることができます。皆様のご支援をよろしくお願いいたします。
お礼として、地元特産品をお送りさせていただきます。
※ふるさとチョイスの深谷市ふるさと納税ページにて、同様の使い道を選択された方の寄附も当プロジェクトの集計に加えております。
■ご寄附いただいた皆さまへ

このたびは、当プロジェクトに多数のご寄附を賜り、心から感謝申し上げます。おかげをもちまして、当初の目標金額を大きく上回ることができました。また、心温まる応援メッセージも多数いただき、多くの皆様に取り組みを知っていただけたことを大変うれしく存じます。 皆様のご寄附は、ホフマン輪窯をよみがえらせる保存修理事業のため、大切に活用させていただきます。
なお、ホフマン輪窯の保存修理事業には、今後多くの時間と経費を要します。深谷市では、来年度以降も皆様のご支援を賜りたいと考えておりますので、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。
埼玉県 深谷市
■寄附金の活用について(2017/11/21追記)
・平成28年度のGCFでご寄附いただいた寄附金は、平成28年度の調査工事に活用させていただきました。
・保存修理に関する情報をお届けする「ホフマン通信」を発行しましたので、下記ページよりごらんください。
深谷市ホームページ内「旧煉瓦製造施設」のページ
http://www.city.fukaya.saitama.jp/kanko/rekishi/bunkazai/1434697261895.html
深谷市とレンガ
深谷のまちを歩いていると、煉瓦造りの建物が目につきます。
深谷には明治20年(1887年)に操業した日本煉瓦製造株式会社の煉瓦工場がありました。


同社は深谷市出身の「近代日本経済の父」渋沢栄一らにより設立されました。日本で最初の機械式煉瓦工場を擁し、東京駅をはじめ明治から大正にかけて多くの近代建築物が深谷製の煉瓦を使って建設されました。この煉瓦工場にあった中心施設が、今回の主役である「ホフマン輪窯」です。
平成9年5月には、ホフマン輪窯をはじめとする日本煉瓦製造株式会社の旧煉瓦製造施設が、日本の近代化の礎を築いた重要な遺産のひとつとして、国の重要文化財に指定されました。煉瓦工場があったことで、深谷市内では色々な所で煉瓦が使われており、深谷の景観の特色になっています。
日本の近代化に重要な役割を果たしたホフマン輪窯を将来へ残していくために保存修理を行い、それを契機に「煉瓦のまち深谷」を広くアピールして行きたいと考えています。
明治・近代化のいしずえとなった「日本煉瓦製造株式会社」
レンガと深谷の関わりは、明治政府の意向を受けた渋沢栄一の主導で明治20年に日本煉瓦製造株式会社(設立当初は日本煉瓦製造会社)の工場が深谷につくられたことに始まります。当時、明治政府は近代的な官庁街や鉄道等の整備を強く推進していました。
日本煉瓦製造株式会社でつくられたレンガは、明治時代の代表的レンガ建築である司法省(現法務省)・日本銀行・旧東京裁判所・旧東京商業会議所・赤坂離宮・旧警視庁・旧三菱第2号館・東京大学・東京駅などに使われ、日本の近代化に大きく貢献しました。

東京駅

司法省(現法務省)
しかし、時代とともに煉瓦需要が減少したこと、安価な外国産煉瓦の市場拡大が要因となって、同社は平成18(2006)年、約120年の歴史に幕を下ろしました。
工場の一部として、「ホフマン輪窯(わがま)6号窯」「旧事務所」「旧変電室」そして引き込み線に使われた「備前渠鉄橋」が残され、国重要文化財に指定されています。それらは日本煉瓦製造株式会社の事業清算の際、深谷市に寄贈されることになり、平成19年度から深谷市が管理しています。

旧変電室

旧事務所
ホフマン輪窯とは
煉瓦の大量生産という時代の要請に応える設備で、ドイツ人フリードリヒ・ホフマンが1858年に特許を取得したと言われています。

たくさんの小部屋を輪の形につなげて配置した窯で、それぞれの小部屋に製造途中の煉瓦を並べてそこに連続して火を入れていくことで次々と乾燥、焼き上げを行い、効率的に大量の煉瓦を生産することができました。
日本の近代化の要請にこたえるために煉瓦を供給し続けましたが、昭和26年(1951年)には全国に50基あったものが現在では全て稼働をやめ、4基が残るのみという大変貴重な産業遺産です。
しかし、深谷のホフマン輪窯は建てられてから100年以上が経過して劣化が著しい状況にあり、後世に残していくためには修理が早急に必要です。

「日本遺産」に申請しました。
「日本遺産」制度を知っていますか?地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁が認定するものです。平成27年度から始まり、平成32年度までに100件程度を認定する予定とのことです。
このたび深谷市は、栃木県野木町及び茨城県古河市とともに、平成29年度の認定を申請しました。タイトルは「煉瓦の薫る宿場町~煉瓦窯と日光街道古河宿野木宿・中山道深谷宿~」。もちろん日本遺産の核となるのはホフマン輪窯というストーリーです。
日本遺産に認定されれば、外国人旅行者をはじめ多くの観光客が訪問することになるでしょう。日本遺産を通じて地域の歴史的魅力と文化を深く理解いただくためには、構成文化財つまりホフマン輪窯を直接体感していただくことが必須です。多くの方に、安全、快適に文化財にふれ、日本の理解を深めていただきたい……。そのためには、ホフマン輪窯の修理が不可欠なのです。修理の暁には、ホフマン輪窯は、いっそう魅力と見どころを持った文化財となることでしょう。
また、多くの旅行者に訪問いただくことにより、まちが活性化することも期待されます。まちの活性化とは、経済的なことだけではありません。市民をあげてのおもてなしの機運づくりは人の元気を生み出します。継続的に旅行者に訪問いただき、まちの元気を醸成するためにも、日本遺産の核としての修理や整備に向けたご支援をぜひお願いします。
【明治近代化のスケールを体感!】
ホフマン輪窯は、全国で4基しか残っておらず、深谷のホフマン輪窯は国重要文化財に指定されている貴重な近代化遺産です。現在、劣化が進み危機的状況ですが、これを修理することで、国民の財産である文化財を未来へ適切に保存することができます。まずは、修理のための調査を行う必要があります。
修理後は、スケールの大きな煉瓦窯の内外観を体感できる形に環境整備することで、多くの方に明治の近代化の息吹を感じていただくことができます。日本の近代化の歴史を伝える教育や生涯学習の場として、ホフマン輪窯の素晴らしさとともに、明治近代化のスケールを体感できるようにします。そして、渋沢栄一の関連施設と合わせて修学旅行や社会科見学、観光のルートを構築し、ホフマン輪窯から日本を盛り上げていきたいと考えています。
ご賛同いただいた方へのお礼の品
今回のプロジェクトにご賛同いただいた皆様には、感謝のお礼として、深谷市の特産品をお贈りいたします。大人気のふっかちゃんグッズも選べます!
現在進捗情報はありません。
埼玉県深谷市

埼玉県北部に位置する深谷市。深谷ねぎに代表される農畜産物の生産をはじめ、花の栽培と造園業も盛んです。近代日本経済の父と言われる渋沢栄一の記念館など、観光スポットも充実しています。
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