日本最古級の駅舎を再生し 貴重な鉄道資産を守りたい。
カテゴリー:観光・PR
寄付金額 3,250,000円
目標金額:10,000,000円
- 達成率
- 32.5%
- 支援人数
- 176人
- 終了まで
- 受付終了
滋賀県日野町(しがけん ひのちょう)
寄付募集期間:2016年12月1日~2017年5月31日(182日間)
滋賀県日野町

近江鉄道日野駅は大正5年に建てられ、2016年で築100年を迎えます。現存する木造駅で100年を越える数少ない駅のひとつです。その味わい深いレトロな駅は、映画のロケやテレビ放映でも多く使われ、住民と鉄道ファンからこよなく愛される駅です。
しかし、長い年月によって老朽化がすすみ、このままいけば簡単な駅に建て替えが余儀なくされ、なつかしさや愛着が駅から消えてしまいます。まちのシンボルである駅の存続に危機感を抱いた日野町と地元住民は、「近江鉄道日野駅再生プロジェクト」を立ち上げ、近江鉄道に協力を呼びかけ、再生修復工事をおこない、今の姿を100年先の後世に残そうという機運を高めています。
そこで、このプロジェクトによる皆様からのご寄付を「駅舎の再生」と「駅舎カフェ」、「小さな鉄道ミュージアム」をつくることに活用させていただきます。
≪新着情報≫
日野駅再生工事がすすめられています
更新: 2017年4月13日
100年を迎える日野駅を未来に残すために、ただいま再生工事がおこなわれており、近況と予定をお知らせします。
駅舎をジャッキアップして、地盤改良工事と基礎工事が3月末で終わりました。続いて耐震工事等の補強や、屋根工事、内装・外装工事等を順次おこなっていき、竣工は平成29年9月末頃になる予定です。
再生される駅舎は、いままでの雰囲気をできるだけ残しながら、待合室と駅務室、そして新たにコミュニティスペースとして、日野町の観光情報発信を兼ねたカフェをつくり、人と情報の交流拠点施設として整備をしていきます。
多くの人から愛されてきた日野駅を、これからもまちの玄関として人を迎え入れ、まちのにぎわいをつくっていく拠点施設になるよう、すすめてまいります。
その後、平成31年3月末までの計画で上りホーム待合所の改修と駅に残されている貴重な鉄道資産等の改修・保存をすすめてまいります。
今後とも当プロジェクトにご支援をどうぞよろしくお願いいたします。


近江鉄道と日野駅の魅力
ガチャコンの愛称で親しまれている近江鉄道
近江鉄道は滋賀県東部の湖東平野を走る私鉄で、地元では「がちゃこん〜がちゃこん」と走ることからガチャコンという呼び名で愛されている、沿線住民にはなくてはならない生活の一部となっている鉄道です。

日野駅の歴史
明治29年(1896年)、今から120年前に多くの近江商人が発起人となり近江鉄道株式会社が誕生。その4年後の明治33年(1900年)に日野駅ができました。その後大正5年(1916年)にホームの複線化に伴い、現在の駅舎に建て替えられ、2016年で100年を迎えました。
平成28年10月1日に、「日野駅100周年記念イベント」が開催され、多くの人で賑わいました。当日は特別列車を貸し切り、車内で日野駅の歴史についての講演会が開かれたり、「わたしと日野駅」をテーマに作文や俳句、短歌も展示され、駅に対する思い出や貴重な交流拠点を大切に守っていこうという気持ちが高まりました。


駅の外観・設備と歴史的価値
明治洋風建築の流れをうけた玄関口は、玄関キャノピー柱の意匠(エンタシス柱)、洋小屋組のトラス構造など、その時代の意匠、工法を留める点で、貴重な造りになっています。
内に入って、待合室北西隅の天井板をめくると格天井が現れ、そこは貴賓室として使われていたことがわかるなど、駅舎の歴史を感じ取れる一面が今なお残されています。
そして、風雪に耐え時を越えてきたレトロな看板や時刻表、昔のままの改札口など、多くの人が日野から都会へ出発し、また帰ってきた人を温かく迎え入れるほっとできる空気感を今も漂わせています。

この駅舎をみるためだけに下車する人が少なくありません。映画のロケにも使われた向かいホームの待合所の独特の味わいは、多くの鉄道ファンを魅了し続けています。休日ごとに鉄道ファンが訪れ、写真撮影やSNSへの投稿をしたり、100年の歴史ある駅の風情を感じておられます。また、最近は駅舎整備を知った人たちが平日でも写真を撮りに来られます。
反対ホームに渡る構内線路はめずらしい3本線になっています。現在、中央の線路は使われていませんが、この線路は鉄道敷設当時の線路が今も残されており、「BARROW STEEL」の刻印が見られます。実はこの線路、近江鉄道開設当時に使用されていたイギリス製のレールで、敷設されたままの舶来レールは全国的にも珍しいものです。

駅舎の現況と地域の取組み
長い年月に耐えてきた駅舎。現在は一部雨漏れがあり、部材の腐朽・破損もみられます。このまま放置すれば、ますます老朽化が進んでしまいます。
ローカル鉄道の駅の現状は厳しく、レトロな駅舎として注目され来訪者は多いものの、肝心の定期利用者は減少しています。
現在の利用状況は…?
平成27年度の日野駅の年間利用者数は、16万9006人(一日あたりの利用者数は463人)でした。近江鉄道全体が457万9518人であり、近江鉄道全33駅中、日野駅は5番目に多い利用者数です。

駅舎やホーム待合所の解体、簡易駅舎への建て替え計画がささやかれるに至って、駅を愛する住民から解体反対の声が相次ぎ、いかに現在の駅舎が地域住民にとって地域のシンボルとして大きな存在であるか改めて再認識させられました。
地元の皆さまの思いを反映し、駅をまちのたからとして積極的に活用していけるよう「日野駅利用促進活性化懇話会」を組織し、駅のあり方について検討。懇話会の出した結論は、「100年培ってきた歴史と風合いを大切にしながら、多くの町民の記憶の中にある歴史ある駅を次の世代につなげていくとともに、来訪者と地域の『心の玄関』としてまちづくりの拠点交流施設として駅再生に取り組む」というものでした。
100年の歴史に新しい息吹を吹き込むことで、きっと更なる交流が生まれることでしょう。これからの若者にも受け入れられる駅をつくっていくことが私たちの使命であると考えています。

駅舎再生計画を開始します
100年の間、地域のシンボルとして親しまれた日野駅はその時代の意匠、工法をとどめている点で貴重な建築物です。鉄道創設に大きく尽力した近江商人の、華美を好まず質実をよしとした気質が駅舎にも現れています。
そうした、先人の残された歴史と文化を忠実に修復・再生させるため、再生工法で今回施工することを計画しています。再生工法とは、建物の文化財的価値を損なわないよう、内部に至るまで柱の1本1本まで忠実に修復していくことです。木造建築の再生工法には、さまざまな技術と習熟された技能が必要となります。材木の腐朽や破損が認められる部位は、木の種類や木の特性にあわせて根継ぎを行ない、生かせる部分はそのまま生かしていく工法をとります。そのためには、多額の費用と職人の習熟した技能が必要になってきます。
工事の完了予定日は平成29年9月頃となる予定です。今の駅舎を今のままの姿に再生する工法となり、具体的には昭和49年の日野駅の写真をモデルとしております。


「駅舎カフェ」で憩いの場とにぎわいをつくる
こうしてリノベーションされた駅に、カフェをつくりたい。窓の外にひろがる田園風景にとけあうガチャコン電車を眺めながらゆっくりとお茶を飲む。スローな時間を楽しめる場所が駅にあったら、電車やバスの待合時間に人と人が交流できる空間が生まれます。
木のぬくもりを感じつつ、夏の涼や冬の暖と人の温かさを求めてカフェでゆっくりと流れる時間を楽しんでいただくために、「駅舎カフェ」をぜひ作りたいのです。
それと同時に、カフェは駅で若者がイベントを開いたり、チャレンジショップで起業ができるなどの多機能性をもった活動拠点にしていきたいと考えています。

こんな事業も…
「近江日野田舎体験」事業では、京都・大阪などから多くの若者や外国人が近江鉄道を利用して日野駅を訪れ、駅でホストファミリーと出会い、農家にホームステイ(農家民泊)し田舎暮らしを体験して「日野の良さ」を知ってもらうツアーを実施しています。日野町に住んでみたいと思う移住定住事業の一環として駅が人と人をつなぐ心の交流の玄関になっています。

「小さな鉄道ミュージアム」をつくりたい
駅舎には併設して「小さな鉄道ミュージアム」を作りたいと考えています。
この「鉄道ミュージアム」で展示することになる車両は、全国でも日野駅の他に数台しか現存が確認されていない「タッグローダー」(車両移動機)です。タッグローダーとは、かつて全国の駅で貨車の入れ替えに使われていたもので、到着した貨車をホームに移動させたり、空になった貨車を本線に戻したりするのに使われていました。

日野駅に現存するタッグローダー
残念ながら適切に保存されているわけではなく、半ば朽ち果てた状態で残っている状態です。保存の措置を講じなければ、いずれ失われてしまうことが懸念されています。日本の鉄道資産を残そうと活動されている方からも、貴重な鉄道資産を保存して後世に伝えてもらいたいという声をいただいています。

そこで、町ではこれらの鉄道資産を近江鉄道にも協力を呼びかけ保存展示ができる「小さな鉄道ミュージアム構想」をすすめていきたいと考えています。構内にあるレールバスの車庫にタッグローダーを移設して保存し、関連する資料を収集して展示することで、全国でも類例のない、小さな鉄道ミュージアムを実現させたいと考えています。このミュージアムを開設することで、貴重な日野駅全体が新たな「鉄道の観光ゾーン」としての価値が高まることを期待しています。
日野駅を魅力的に再構築することで、日野町を訪れてみたい、住んでみたいと思わせる情報発信の拠点施設となる「心の交流の玄関」として積極的な取り組んでいきたいと思っています。

寄附の使い道
○プラットホーム上り待合所改修工事費等 約2,000万円 (設計費含む)
○交流拠点施設開設費用等 約1,000万円
○鉄道ミュージアム工事費等 約1,000万円
寄附金合計額 3年間で4,000万円(寄附目標額)
(※そのうち1,000万円をガバメントクラウドファンディングで募金目標に掲げておこなう。)

歴史ある駅舎本体の建築は、「心の交流の玄関」であり、公共性の高い施設として町が整備を行います。しかし、上りホーム待合所の改修や駅舎内のカフェを開くための準備費用など、日野駅全体がミュージアムとして、レトロな風情ある駅を後世に残すために、皆さまから寄附金をお願いするものです。
お礼の品をご紹介
今回のプロジェクトにご支援いただいた方へ、心ばかりのお礼として「近江鉄道レール文鎮」と「日野駅舎せんべい」をセットで進呈します。 また、一定額以上で再生駅舎の刻銘板にあなたのお名前が刻まれます。
【対象となるのは】1回10,000円以上の寄附をされた方が対象となります。

「近江鉄道レール文鎮」
近江鉄道創設当時から使用されていた舶来製のレール文鎮を進呈します。(シリアルナンバー付き)
横88mm、高さ98mm、幅10mm、重さ250g
「日野駅舎せんべい」
地元の「駅前通り共栄会」が作った、駅舎の焼印の入ったおせんべい
「再生駅舎の刻銘板にあなたのお名前掲載」
3年間で10万円以上寄附をいただいた方は、新しく再生した駅舎にお名前の刻まれた刻銘板を設置し掲載します。
近江鉄道創設当時のレールでつくった文鎮
明治25年(1892年)元彦根藩士の明治政府官僚・西村捨蔵氏と財力豊かな4人の近江日野商人が、近江鉄道創設の協議をしたのが、近江鉄道のはじまりです。
明治29年(1896年)に近江鉄道株式会社が創設され、120年を迎えました。
文鎮となったレールは、明治31年(1898年)にイギリス・BARROW STELL社で製造され、「BARROW STELL 1898 S380 OMI」の刻印があり、近江鉄道に納品されたことを記す頭文字のOMIが刻まれていました。
その歴史あるレールに、製造番号を刻みオリジナルのレール文鎮としてお贈りします。
日野駅構内にある3本のレールのうち、真ん中のレールはこのBARROW STELL社のものが今も残されています。敷設されたままの舶来レールは全国的にも珍しいものです。貴重な鉄道資産の残る日野駅にぜひお越しください。
現在進捗情報はありません。
滋賀県日野町

滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.63平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。
この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万3千年前と言われています。旧石器時代の終わりから縄文時代の始めころ狩猟や採集生活を、さらに弥生時代には稲作も始められ、飛鳥時代には百済の文化が持ち込まれました。
やがて、室町時代、蒲生氏の城や、城下町とがつくられ大きく変貌を遂げ、歴史の表舞台に登場してきました。町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は200年以上この地を治め、商工業の保護・育成に努力し、鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきました。
江戸時代に入って、漆器や薬売りの行商から発展した日野の商人は北関東や東海地方に商圏を確立し、全国各地に近江日野商人の名をとどろかせていきました。
コメント投稿をありがとうございます!
あなたのその想いが
プロジェクトを動かしています。
投稿は順次、進捗情報ページへ反映されます。
反映まで数日かかることがあります。