2025/12/03 (水) 13:56

人気返礼品をつくる職人《ひと》 ~鹿嶋市ふるさと納税 特別編 Vo.8~

この記事について

鹿嶋市ふるさと納税は、鹿嶋市にふるさと納税(ご寄附)をいただく皆さんはもちろん、返礼品を用意していただく市内生産•事業者の皆さんのご協力があって成り立っています。
そこで、ふるさと納税ポータルサイトなどでは伝えきれない、生産•事業者の皆さんが「どんなこだわりや想いを抱いて作っているのか」などをご紹介します。

※最下部にもリンクがあります。

0.プロローグ~古代の鹿嶋のレンコンのものがたり~

鹿嶋市郷土かるたには、こんな読み札があります。

「ぬ」 沼尾の池 風土記に残る 不老不死の蓮

 「沼尾の池」は、現在の鹿嶋市田谷沼と呼ばれるところになります。

今は水田が広がるこの地について、奈良時代(718年頃)に編さんされた『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』には、「社(やしろ=鹿島神宮)の南に郡家(ぐうけ=古代の役所)があり、社の北側には沼尾の池があった。翁のいうには、神代(かみよ)に天より流れ来た水がたまって沼となった。この沼で採れる蓮根は他では味わえない良い味である。病気の者も、この蓮を食べると、たちどころに癒えるという」と書かれています。

1300年前、古代の鹿嶋ではレンコンが作られていたということなのですが…
つい最近まで、鹿嶋市にはレンコンを栽培している農家はありませんでした。

1.vol.8 Nine'sFarm×太助レンコン園

「レンコン?鹿嶋でやってる人、誰もいないよ」

かつてそう言われていた鹿嶋市にも現在、大野地区に蓮田が広がり、栄養豊富な大地の恵みを届けています。
この前例のない挑戦を成し遂げたのは、鹿嶋市出身の同世代の二人。Nine's Farmの出頭大祐さんと、太助レンコン園の小原健児さんです。

写真左から)太助レンコン園・小原健児さん、Nine's Farm・出頭大祐さん


会社員という前職から離れ、一念発起して農業の世界へ飛び込んだ二人の道のりは、まさに「がむしゃら」な努力と「二人だからがんばれた」絆で刻まれていました

2.運命を変えた、同級生の「レンコン」

出頭さんと小原さんは共に鹿嶋市の大野地域で育ちました。小原さんのお兄さんが出頭さんの同級生という間柄。

出頭さんは自分のことは「適当」、小原さんについては「大胆」と分析。小原さんは出頭さんのことを「メリハリがある」、自身のことは出頭さんと同様に「適当」だと笑いあいます。
性格は違えど、地元の空気を吸って育った二人には、どこか通じ合う「やる時はやる」という共通の熱量がありました。

そんな二人が農業、それも鹿嶋市では誰も作っていなかったレンコン栽培を志したきっかけは、ある偶然の再会でした。

「同級生のレンコン農家さんを見に行って、かな。小原さんと一緒に行ったんです」と出頭さん。

同窓会で出頭さんの高校時代の同級生が阿見町でレンコン栽培をしていると聞き、見学に行ったことが、転機となりました。そこで味わったレンコンの美味しさに驚き、鹿嶋市でれんこんを作っている人はいないことから、これを鹿嶋で作れたらいいなと思ったそうです。

3.「だいじょうぶだよ」 ふたりを支えた師匠のひとこと

レンコン栽培を心に決めた二人は、すぐに行動に移します。2017年、出頭さんの同級生でもある、阿見町のレンコン農家・吉田さんのもとで、共に修行を始めました。

「無我夢中でした。もうやるぞと決めてたから、無我夢中で覚えようと」と出頭さん。

修行時代については言い合わせたように「がむしゃらにやってました」と振り返るほど、ひたすら技術と知識を身につける日々。

当時、鹿嶋市でレンコン栽培がされていなかったのは、重労働に見合う価格ではなかったことが背景にありました。そして、できてもおいしくない茶色いレンコンだと。
しかし、師匠の吉田さんは、二人に言いました。

『だいじょうぶだよ』 『どこでもできるよ、レンコンって』

師匠が自身の新規就農で成功を収めた経験から口にした、そのポジティブな言葉が背中を押しました。

4.「がむしゃら」に乗り越えた、ゼロからの開拓

2018年に修行を終えた出頭さんと小原さんは、いよいよ鹿嶋市で新規就農を果たします。
ブランド名には、お互いの実家の屋号である「久太(きゅうた)」からとった「ナインズ(久=きゅう)ファーム」と、「太助」から「太助レンコン園」を冠しました。

● 20ヘクタールの水田や耕作放棄地を「蓮田」へ

鹿嶋市でのレンコン栽培は、文字通り「ゼロからのスタート」でした。鹿嶋市内の水田や耕作放棄地を借り受け、重機などを使って、少しずつレンコンを育てる「蓮田」へと変えていきました。
現在では20ヘクタール(東京ドーム約4個分)にも及びます。

この大規模な開拓作業は、二人だけの手で行われました。

蓮田を拓きはじめた頃の大変だった思い出をあげてもらいました。
「重機が壊れたりするトラブルもあったけど、それなりに楽しくやってたかな」(小原さん)
苦労しながらも二人でやっていたからこそ、「楽しく」乗り越えられた様子がうかがえます

●失敗はありえない、覚悟の「がむしゃら」

当時の心境について問われると、出頭さんと小原さんは口を揃えて「がむしゃらです」「無我夢中ですよ」と答えます。その根源には、並々ならぬ覚悟がありました。

「やらなきゃいけなかったから。もう設備投資もしてるし。なんなら借金もしてるし、もう失敗はありえない」(小原さん)

他の農作物に比べ、レンコン栽培は比較的設備投資がかからないとされますが、二人は師匠の教えに従い、先に設備に投資することを決断。
背水の陣で挑んだからこそ、すべてを投げ打って「がむしゃら」になるしかなかったのです。

5.現代に蘇った鹿嶋産のレンコン~ふたりだからがんばれた

「本当にできるのか?」という周囲の好奇の目や疑問の声をものともせず、二人はひたすら蓮田をつくり続けました。

種は師匠から譲り受けた、甘みの強いおいしい品種を使用。その特徴を最大に生かすために、鹿嶋の地に合った土や圃場になるよう試行錯誤。特に重要な、有機肥料を与えるタイミングやその配合を自ら調整しています。

レンコンに良い土づくりには3〜5年かかると言われますが、土壌の質については師匠からのお墨付きもあり、出頭さんと小原さんは新規就農した年の9月には初出荷を実現。
このことが、なによりも嬉しかったとふたりは口を揃えます。

「初年度、1年目に出荷できたこと。それが一番嬉しかったかな」(小原さん)

その後も、蓮田の状態に合わせて土壌の改良は引き続き行い、おいしいという声がさらに届くようになりました。
「おめぇんとこのレンコンはうめえよなって言われたのは嬉しかったですね」(出頭さん)

鹿嶋でも白いレンコンができた──これは、「ふたりだからこそ」成し遂げられたのかもしれません。

重機が壊れるほどの苦労や、コロナ禍で人手不足に陥った時、豊作で相場が暴落した時も、出頭さんと小原さんは「ひたすらやるしかない」と励まし合い、知恵と力を出し合い、乗り越えてきました。

お互いに声をかけてあげるとしたら?と聞いてみると、顔を見合わせて苦笑しながら明かしてくれました。

「よくやってきたな」(出頭さん)
「これからも頑張ろう、って感じかな」(小原さん)

二人の簡潔な言葉に、積み重ねてきた努力と、固い絆が凝縮されています。

6.鹿嶋のレンコンを広める「新たな挑戦」

鹿嶋市でのレンコン栽培を安定させた出頭さんと小原さんは、今、次のステップへと挑戦しています。
それは、レンコンの可能性を広げる「加工品」の開発と「販路の拡大」です。

●出頭さんの挑戦:塩と砂糖のれんこんチップス

出頭さんが手がけるのは「れんこんチップス」です。単なる塩味だけでなく、「芋けんぴみたいな、砂糖味もあります」(出頭さん)と、これまでのれんこんチップスのイメージを覆す商品を開発しました。

「今まで砂糖のれんこんチップスはなかったと思うんで、ぜひ塩味と食べ比べてほしいなと思います」

太助レンコン園のスタッフさんも「とくに砂糖味がおいしい!」と絶賛する一品です。

●小原さんの挑戦:レンコン入り肉餃子

小原さんは、レンコンを広く知ってもらうため、手軽に食べられる加工品として「レンコン入り肉餃子」を開発しました。

「レンコンを広めたいという思いからですね。でも、独身の人が料理するかと言ったら、難しいところがあるな、と。じゃあ料理してあって、手軽なもので、プラスレンコンを絡めて『何か口に入れたいな』と思った時に、餃子がいいかなと思いつきました」

レンコンの食感にこだわり、試行錯誤を重ねて大きさやカットを決めたこの餃子は、「お子さんにすごく人気で、この餃子だったらすごく食べてくれる」と評判を呼んでいます。

●鹿嶋から全国、そして海外へ

二人の挑戦は止まりません。小原さんは餃子に続く「独自の加工品の種類を増やしていきたい」と構想を練り、鹿嶋のレンコンの海外進出も視野に入れています。

出頭さんは、鹿嶋市での認知度向上も目指します。

「鹿嶋市の中で結構知らない人はまだいっぱいいると思うので。レンコンって言ったらここの二軒だよというアピールもしていきたいなと思ってます」

「今まで市内ではレンコンがなかった環境ですが、自信を持って作っていますから、市内の人全員とは言わないですけど、ほとんどの人が知ってもらえるくらいにはやっていきたい」

7.1300年の時を超えて、鹿嶋のレンコンの可能性は続く

二人の「がむしゃら」な挑戦によって、鹿嶋市ではレンコンという新たな特産品が生まれ、地域の農業の可能性が大きく広がりました。

「自信のあるものを作ってるんで。ぜひ1回とは言わず何回でも食べてほしいですね」(出頭さん・小原さん)

古代の鹿嶋で作られていたレンコンは、時を経て、二人の男たちによりまた鹿嶋の地で蘇り、出荷されるようになりました。

常陸国風土記でも、鹿嶋のレンコンは「他では味わえない美味」とありますが、それは現在でも変わらず、もう他では食べられなくなるほどの甘さとシャキシャキ感を備えています。
(たちどころに病が癒えるか…は別として、ビタミンCやミネラルなど、さまざまな栄養素がたっぷり含まれているのは保証します!)

そして、このレンコンは、鹿嶋市の誰もやらなかったことに「がむしゃら」に突き進み、支え合ったふたりの挑戦の結晶でもあります。

古代、そして現在に連なる物語に思いを馳せながら、鹿嶋市のおいしいレンコンを味わってみませんか?

8. 【鹿嶋市ふるさと納税の返礼品ページ】

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