【日本製紙八代工場復旧応援プロジェクト】ともに歩んだ100年を、次の100年へ。

カテゴリー:災害 

寄付金額 38,500

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目標金額:100,000,000

達成率
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支援人数
3
終了まで
90
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熊本県八代市(くまもとけん やつしろし)

寄付募集期間:2026年8月11日~2026年11月8日(90日間)

熊本県八代市

プロジェクトオーナー

令和8年熊本地震により、日本製紙八代工場は甚大な被害を受け、長年にわたり八代の風景を形づくってきた煙突も崩落しました。
日本製紙八代工場は単なる一企業の工場ではありません。
工場で働く方々とその家族、協力会社、運送、設備、原材料など、多くの仕事と暮らしがつながる八代の基幹的な産業拠点です。
工場の被災と操業への影響は、雇用や関連事業者、八代港をはじめとする地域経済全体に及びます。
これまで八代の発展を支え続けてきた工場を、今度は八代市が支えるため、本プロジェクトを立ち上げます。

八代を支えてきた工場を、今度は八代が支える

八代平野を望むと、市街地の向こうに工場の煙突が見えます。

通勤や通学の途中に。
球磨川を渡るときに。
遠くから八代へ帰ってきたときに。

日本製紙八代工場のある風景は、長年にわたり、市民にとって当たり前の八代の風景でした。

しかし、令和8年熊本地震により、工場は甚大な被害を受け、操業を停止しました。
地震では、日本製紙の社員と協力会社の社員の尊い命も失われています。

まず、亡くなられた皆様に謹んで哀悼の意を表し、ご遺族の皆様に心よりお悔やみ申し上げます。
負傷された皆様の一日も早いご回復をお祈りします。

私たちが失いかけているのは、工場の建物や設備だけではありません。
そこで働く人たちの仕事、その家族の暮らし、工場を支える協力会社や運送事業者、原材料や設備に関わる事業者、そして100年かけて地域と工場が築いてきたつながりです。

これまで日本製紙八代工場が、八代を支えてきました。

今度は、八代市が工場を支える番です。

100年にわたり、八代の仕事と暮らしを支えてきた工場

タイトルと見出しを補足するような画像を用意しましょう。

日本製紙八代工場は、1924年に現在の八代市十条町で操業を開始し、2024年に創立100周年を迎えました。
八代と製紙業の関係はさらに古く、1898年に現在の坂本町で近代的な製紙工場が操業したことに始まります。
豊かな水や森林資源、球磨川の水運に支えられて発展した製紙の歴史は、現在の八代工場へ受け継がれてきました。

日本製紙八代工場は、単に紙を製造する場所ではありません。
工場で働く人々とその家族をはじめ、原材料や製品を運ぶ事業者、設備の保守、電気、建設、清掃、安全管理などを担う協力会社、さらに地域の店舗やサービス業まで、多くの仕事と暮らしが工場を中心につながっています。
また、八代港や周辺の臨海工業地域の発展を支え、工業都市としての八代の歩みを象徴する存在でもあります。

令和8年熊本地震により、工場は甚大な被害を受け、長年にわたり八代の風景を形づくってきた煙突も崩落しました。
工場の被災は、一企業の施設や設備だけの問題ではありません。
操業への影響は、そこで働く人々の雇用、協力会社や関連事業者の経営、物流、地域経済全体へ広がります。

明治、大正、昭和、平成、令和と、製紙業は八代の歴史とともに歩み、日本製紙八代工場は100年にわたり地域を支えてきました。
だからこそ八代市は、これまで八代を支えてきた工場の復旧を、地域の未来に関わる重要な取組として支援します。

日本製紙八代工場の復旧と再出発を支えます

タイトルと見出しを補足するような画像を用意しましょう。

皆様からいただいた寄附金は、八代市からの支援として日本製紙八代工場の復旧に活用します。

具体的には、被災した工場施設・設備の復旧、操業再開に必要な安全対策、将来の災害に備えた施設・設備の再整備などを想定しています。

寄附金の活用状況と復旧の進捗は、活動報告などを通じて継続的にお知らせします。

一つの寄附が、工場の先にある多くの暮らしを支えます

日本製紙八代工場は、100年にわたり、八代のまちとともに歩んできました。

工場でつくられてきたのは、紙だけではありません。

働く場所が生まれました。
家族の暮らしが支えられました。
関連する企業や仕事が育ちました。
八代港を中心とする物流や工業が発展しました。
そして、煙突の見える景色が、八代の日常になりました。

この工場を未来へつなぐことは、八代の仕事、暮らし、産業、そして地域の誇りを未来へつなぐことです。

ともに歩んだ100年を、次の100年へ。

日本製紙八代工場の再出発に、皆様の温かいご支援をお願いいたします。

現在進捗情報はありません。

熊本県八代市