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糸洲の壕(ウッカーガマ)を平和学習の場とするため、整備したい!【小池勇助軍医顕彰事業】

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 410,000

41%

目標金額:1,000,000

達成率
41%
支援人数
7
終了まで
68
/ 91

長野県佐久市(ながのけん さくし)

寄付募集期間:2024年4月8日~2024年7月7日(91日間)

長野県佐久市

プロジェクトオーナー

長野県佐久市出身で、「佐久の先人」である小池勇助軍医は、沖縄戦末期、全学徒隊に解散命令が出る中、沖縄県糸満市にある自然洞穴「糸洲の壕(ウッカーガマ)」において、指揮していた学徒隊に「生きて親元に帰り、戦争の悲惨さを後世に伝えるように」と訓示されました。
多くの学徒隊が解散命令後に戦闘に巻き込まれたり、集団自決に追い込まれるなか、小池軍医の言葉を守ったふじ学徒隊の戦死者は数名にとどまりました。

小池軍医最後の地となった「糸洲の壕(ウッカーガマ)」は、地域の人々やボランティアによる清掃等が行われてきましたが、高齢化などの理由から継続管理が困難になってきているのが現状です。

そこで佐久市では、観光で訪れる巡拝者や修学旅行生が、沖縄戦の悲惨さ、命の尊さをより深く学ぶ「平和学習」の場とするため、糸洲の壕(ウッカーガマ)の学習環境整備を行います。
是非、大勢の皆さまの応援をよろしくお願いいたします。

小池勇助軍医とふじ学徒隊を知っていますか?

長野県佐久市野沢出身の小池勇助軍医

小池勇助氏は、1890(明治23)年に長野県南佐久郡野沢村(現佐久市野沢)に生まれ、故郷の佐久で眼科医院を営む傍ら、軍医でもあったことから、日中戦争を皮切りに、満州、沖縄戦へと出征されました。
1945(昭和20)年3月、小池軍医が勤めていた第二野戦病院に沖縄県那覇市にあった積徳高等女学校の生徒25名からなる「ふじ学徒隊」が配属されました。4月より沖縄本島にアメリカ軍が上陸し、地上戦が始まったことで、豊見城城址にあった野戦病院には、次々と負傷した兵隊が運ばれ、小池軍医や女子学徒たちは、不眠不休で治療や看護にあたりました。

わずか3名にとどまる「ふじ学徒隊」の戦死者

沖縄県糸満市糸洲にある糸洲の壕(ウッカーガマ) 鎮魂之碑(左側)

アメリカ軍の激しい攻撃が続き、日本軍がほぼ壊滅した6月中旬、各地の女子学徒隊に解散命令が下され、戦闘に巻き込まれたり、集団自決に追い込まれる等、多くの学徒隊で半数以上の戦死者を出しました。
小池軍医は、戦闘が沈静化するのを待ち、ふじ学徒隊に解散命令を下しました。
最後の訓示で、これまでの奮闘をねぎらった上で、自決を覚悟する女子学徒たちに「必ず生き残って家族のもとに帰りなさい。絶対に死んではならない」と諭し、「悲惨な戦争の最後を銃後の国民に語り伝えてくれ」と呼びかけ一人ひとりと握手を交わされたあと、学徒隊が壕を出た後に自決されました。

     南の孤島の果てまで守りきて
     御楯となりてゆく吾を
     沖のかもめの翼にのせて
     黒潮の彼方の吾妹につげん

残された辞世の詩には、遠く離れた故郷を思う気持ちが込められていました。

小池軍医の解散命令からほどなくして、沖縄戦が終結しました。わずか3カ月の間に約20万人が犠牲となり、その中には、学徒隊も多く含まれていました。
しかし、小池軍医の言葉を守った「ふじ学徒隊」の戦死者は、わずか3名にとどまりました。
生き残った女子学徒や、小池軍医と共にいた衛生兵たちは、小池軍医の最後の地となった沖縄県糸満市にある「糸洲の壕(ウッカーガマ)」に「鎮魂之碑」を建立し、その後も、悲惨な戦争体験や、命と平和の尊さを様々な場所で語り続けてきました。
また、糸洲の壕と鎮魂之碑は、平和を継承する大切な戦争遺構として地域の人々にも語り継がれています。

沖縄県糸満市「糸洲の壕(ウッカーガマ)」について

現在、沖縄県糸満市にある「糸洲の壕(ウッカーガマ)」には、当時の「ふじ学徒隊」や元生存者と衛生兵の方など、関係生存者の有志で建立された「鎮魂之碑」があり、その脇には「糸洲の壕(ウッカーガマ)」へと続く階段があります。

壕内へ続く階段付近は、草木が生い茂り、時に入壕が困難になることや、階段が急でジメジメしているため、滑りやすく転倒の危険性があります。
また、壕周辺には、農業の取水で利用後そのまま放置された農業資材や塩ビパイプが散乱し、これまで、管理をされてきた関係される皆さんの高齢化等の理由により、管理が困難な状況となってきています。

「糸洲の壕(ウッカーガマ)」で平和学習を!

佐久市では、現状の「糸洲の壕(ウッカーガマ)」に必要な修繕等を行うことで、当時沖縄戦に動員された積徳高等女学校の生徒とほぼ同じ年齢である高校生が、実際に「糸洲の壕(ウッカーガマ)」に足を踏み入れ、現地の雰囲気を肌で感じ、沖縄戦の悲惨さ、命の尊さをより深く学ぶことが出来る「平和学習」の場としていきます。

戦後78年を経て、戦後生まれの国民が87%を超える時代に、信州佐久の地から、沖縄戦の歴史的な事実を風化させることなく、次世代へ継承していくため、クラウドファンディングを実施します。
ぜひ、このプロジェクトを応援いただきますようお願いいたします。

寄付金の使い道

皆さまからいただいた寄付金は、「糸洲の壕(ウッカーガマ)学習環境整備」に係る修繕等費用、及び「小池勇助軍医顕彰事業」の一部に活用させていただきます。

・「鎮魂之碑」に献花台、解説案内板設置
・「糸洲の壕(ウッカーガマ)」へ続く階段に手摺設置、及び滑り止め加工
・壕周辺の除草・剪定、及び資材片付け
・献花台等の清掃等の維持管理 など

※目標金額に到達しなかった場合でも、糸洲の壕(ウッカーガマ)の修繕等は実施し、いただいた寄付金につきましては、修繕等費用の一部に活用させていただきます。

プロジェクトにご支援いただく皆様へ

佐久市長 栁田 清二

写真

小池勇助軍医の、最後の訓示にあった、「戦争の悲惨さを語り継いで欲しい」という言葉は、当時のふじ学徒隊にだけでなく、故郷の私たちに向けたものでもあると考えております。
糸洲の壕(ウッカーガマ)の学習環境整備事業は、現地の雰囲気を肌で感じることで、沖縄戦の悲惨さ、命の尊さをより深く学ぶことが出来る「探究的な学習」の場に繋がります。
本事業を通し、今を生きる私達が、平和の大切さ、戦争の悲惨さを後世に繋いでいきたいと思います。
趣旨をご理解いただき、皆さまのご支援を賜りますようお願い申し上げます。

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

お礼の品の紹介

本プロジェクトにご寄付いただきました皆様へ、お礼の品をご用意いたしました。

【注意事項】

【注意事項】
※本プロジェクトへのご寄付は、ふるさと納税制度の対象となります。そのため、佐久市にお住まいの方は、ご寄付をいただくことは可能ですが、お礼の品をお送りすることができません。何卒ご了承ください。
※佐久市にお住まいの方が寄付される場合でも、寄付金控除はお受けいただけます。
※お礼の品は、順次発送を予定しております。お礼の品によっては発送時期が異なる場合もございますので、ご了承のうえ、お申し込みください

現在進捗情報はありません。

長野県佐久市

佐久市(さくし)は長野県下4つの平の一つである佐久平の中央に位置し、市の中央を詩情豊かな千曲川が流れ、浅間山など雄大な山並みに抱かれた美しい高原都市です。北陸新幹線、上信越自動車道が東西に走り、中部横断自動車道が整備されるなど高速交通ネットワークの拡充に伴い、日本のほぼ中央に位置する佐久市は、高速交通の結節点、交流圏の拠点として飛躍的な発展が期待されている全国有数の健康長寿都市です。