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【紫式部の生涯でただ一度の旅を再現】越前下向の旅

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

main_img 達成

寄付金額 9,027,500

180.5%

目標金額:5,000,000

達成率
180.5%
支援人数
570
終了まで
受付終了

福井県越前市(ふくいけん えちぜんし)

寄付募集期間:2023年12月8日~2024年3月6日(90日間)

福井県越前市

プロジェクトオーナー

紫式部が生涯でただ一度都を離れて暮らした越前市。紫式部が越前で詠んだ歌も残っています。このことを市民は誇りに思い、昭和33年に紫式部顕彰会が結成され、心豊かな才媛を輩出することへの願いを込めた「紫式部文化賞」(現在は紫式部賞)の創設や、全国から源氏物語ファンが集まる「源氏物語アカデミー」の開催など、長年にわたる市民活動が行われています。
このプロジェクトを通して、紫式部が貴重な時間を過ごした土地であることや、1500年の歴史があり、今なお匠の技により進化を続ける越前和紙などの文化を全国の方に知っていただきたく、全国のどこよりも紫式部を熱く熱く盛り上げていきます。
皆様の熱いご支援を心よりお待ちしております。

紫式部の時代から息づく風土、文化を感じてほしい!

1000年の歴史・文化を紡ぐ

紫式部は越前での暮らしで、都の貴族社会では経験できない人々に出会い、白山を含む雄大な山々に囲まれ、美しくも厳しい自然環境を体験しました。日本海で獲れた新鮮な魚介類や、雪解け水で育った美味しい米や酒など、都とは違う食文化も味わいました。また、高品質の越前和紙との出会いも、紫式部にとって創作意欲を掻き立てる一助になったのではないでしょうか。これら一つひとつが、源氏物語を生み出す原動力になったと考えられています。

紫式部が越前での暮らしで詠んだ歌を紹介します(紫式部集より)。

・暦に、初雪降ると書きつけたる日、目に近き日野岳といふ山の雪、いと深く見やらるれば
「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に 今日やまがへる」

(現代語訳)
暦に初雪降ると書いてある日に、近くに見える日野岳という山の雪が、とても深く積もっているようで、この地でこんな風に日野山の杉の木を埋めるように降っている雪。都の小塩山の松にも今日は雪が降り乱れているのでしょうか

また、越前で暮らしているときに、後に夫となる藤原宣孝から求婚されていました。越前国府にいる紫式部と、藤原宣孝との手紙のやり取りを紹介します。

・年かへりて、「唐人見に行かむ」と言ひたりける人の、「春は解くるものといかで知らせ奉らむ」と言ひたるに春なれど
「白嶺の深雪 いや積もり 解くべきほどの いつとなきかな」

(現代語訳)
年が明け、「越前に滞在中の中国商人を見に行きたい」と言ってきた人(宣孝のこと)が、同じ手紙で「(自分になびかない紫式部のつめたい心も)春には解けるものと、あなたに何とかわからせて差し上げたい。」と言っているので、確かに季節は春ですが、越前の白山ではまだまだ深い雪が積もっていて、いつ解けるかなんてわかりませんよ

越前での滞在を終えた紫式部は都に戻り、宣孝とまもなく結婚しました。その後、子供を出産し、「源氏物語」を執筆しました。人生でただ一度都を離れた越前での暮らしは、彼女にさまざまな影響を与え、重要な人生の分岐点になったと考えられます。

越前には、1000年以上前から続く風土に根ざした伝統工芸があり、特に越前和紙は1500年以上にわたり、職人たちによって本物の技術が受け継がれています。奈良時代には写経や戸籍用紙などに使用されており、正倉院には、越前で漉かれた天平2年(730)の越前国大税帳が収められています。当時から良質の越前和紙は公的な文書用紙として国府で使用されただけではなく、国府を通じ中央へも供給されていました。
また、「紙祖神 川上御前」の伝承も残っています。岡太川の上流にひとりの美しい女性が現われ、「この村里は、谷あいで田畑が少なく、暮らしにくいところです。しかし、水清らかな谷水と、緑深い山々に恵まれています。紙漉きを生業とすれば、生活も楽になるでしょう」と、村人に紙の漉き方を教えたことが、越前和紙の発祥と伝承されています。以来、この女性を川上御前と崇め、紙祖神として岡太神社に祀りました。
北陸新幹線福井開業や大河ドラマ「光る君へ」の放映により、越前の魅力に注目が集まる好機を活かして、深い歴史と伝統が息づく地域文化の魅力を全国に発信します。新しい風が吹き込み、伝統工芸などのものづくり技術に新たな創造が生まれ、次世代に継承されるよう取り組んで行きます。

越前下向の旅を再現

紫式部の人生で一度きりの旅、当時はまるで海外旅行!?

◆紫式部の生涯ただ一度の旅 越前下向の旅の再現
今から千年以上前の996年、紫式部は、都から逢坂の関を越え、大津へ出て、舟で琵琶湖を渡りました。琵琶湖最北の湊、塩津に上陸した後、陸路で厳しい峠を越え、国府の置かれている越前へ向かったとされています。
現代では電車で1時間余りですが、当時は5日ほど要したと言われ、海外旅行に赴くような楽しみや不安を抱き、危険にも満ちた旅だったことでしょう。あわせて広大な琵琶湖や敦賀の海など、数多くの美しい景色にも触れ、感受性豊かな紫式部には大きな刺激となったはずです。
陰陽師による占いや旅立ちの儀、船出の儀、境迎えの儀など学識者による時代考証のもとで、重要な部分を中心に当時の旅を再現します。本市、県、観光団体、文化団体等で構成する紫式部プロジェクト推進協議会(代表:越前市長)が実施主体となり、令和6年10月実施で検討を進めており、全国から行列への参加者、見学者を募る予定です。

■寄附金の具体的な使い道
(目標金額 未達成時や目標金額 以上の寄附が集まった場合の寄附金取扱い含)
紫式部が生涯でただ一度経験した旅「越前下向の旅」の再現にかかる費用に活用させていただきます。寄付金額が旅の再現にかかる事業費を越えた場合は、越前国府や紫式部、平安文化に関するシンポジウムやセミナー、ワークショップなどの開催、魅力発信にかかる費用に活用させていただきます。

日本の美意識、国風文化を暮らしの豊かさに!

紫式部の時代から続く越前の風情

日本の国風文化は、大陸の影響を受けつつも、日本人の感情や風土に合わせて独自に発展しています。文学や書道、建築、信仰、彫刻、絵画など、様々な分野で独自の文化が根付き、日本人の生活に深く影響を与えています。特に平安時代中期における「かな文字」の発達は、漢字を簡略化して生まれた「ひらがな」と「カタカナ」が、豊かな感情表現や多彩な文学作品の芽を生み出しました。
紫式部が生きた時代には、日本の美意識の形成や、書道・和歌・かな文字など、我が国独自の国風文化として、多くの伝統的文化が生み出されました。大化の改新の頃から越前国の国府として栄えた本市には、歴史と文化はもとより、日本の生活文化の原形となるものがあり、今日においても暮らしの豊かさや幸せな暮らしにつながっているものと考えております。
この地には、風土や生活に深く根ざした伝統工芸があり、越前和紙は、1500年にわたり職人たちによって本物の技が受け継がれています。このプロジェクトを通じて、越前の人々、自然、文化、技術に対する関心が高まること、同時に日本古来の文化的な価値が国内外で再評価されることで、これらの宝を次世代に引き継がれていくことが期待されます。

紫式部が人生でただ一度経験した旅を、全国の皆様と再現したい!

京の都から越前までの特別な旅

【紫式部と越前市の主な歩み】
996年
越前国の国守となった父・藤原為時と越前で1年あまりを過ごす
1958年7月
市民有志により紫式部顕彰会を結成
1988年10月
第1回 源氏物語アカデミー開催(2023年に第34回を開催)
1989年
紫式部公園完成
1996年
紫式部千年祭を開催(紫式部越前武生来遊千年記念事業)
2021年4月
紫ゆかりの館(紫式部と国府資料館)完成
2023年10月
越前国府発掘調査において、国府の施設の区画溝と推定される溝を発見
2024年1月7日
大河ドラマ「光る君へ」において、紫式部が主人公として描かれる
(越前市いまだて芸術館で初回放送パブリックビューイングを開催します。)
2024年2月23日
「光る君へ 越前 大河ドラマ館」オープン予定
2024年3月16日
北陸新幹線福井開業(新駅 「越前たけふ駅]開業)

2024年10月 越前下向の旅の再現 紫式部にとって人生一度きりの旅の再現

紫式部は、都から逢坂の関を越え、大津へ出て舟で琵琶湖を渡ります。琵琶湖最北の湊、塩津に上陸した後、陸路で国府の置かれている越前へ向かいました。当時は5日ほど要したと言われ、海外旅行に赴くような不安と危険に満ちた旅だったことでしょう。あわせて広大な琵琶湖や敦賀の海など、数多くの美しい景色にも出会ったことでしょう。
陰陽師による占いや旅立ちの儀、国境の儀など、学識者による時代考証のもとで、重要な部分を中心に当時の旅を再現します。
また、上記の取組みのほか、年間を通して、越前国府や紫式部、越前の文化に関するシンポジウムやセミナー、ワークショップの開催、情報発信・魅力発信について年間を通じて実施します。

越前市長 山田賢一

寄附者のみなさまへ

越前市からのメッセージ

写真

越前市は紫式部が生涯でただ一度都を離れて暮らした場所であり、その四季折々の美しい風景は彼女の和歌にも詠まれた通りです。冬には山々が雪化粧し、春には解けた雪が清流となり、実りの秋には美味しい米や酒として豊かな恵みをもたらしてくれます。また、越前和紙は紫式部の時代から重宝され、現在も職人の卓越した技で作り続けられています。
また、日本一を自負する「越前おろしそば」や、「越前がに」をはじめとする新鮮な魚介類、ご当地グルメ「ボルガライス」も堪能いただけます。
この地で紫式部が出会った文化や風景、人々など、都では経験し得ない実体験の一つひとつが式部の糧となり、源氏物語を生み出す原動力になったことを誇りに思っています。
このプロジェクトを通じて、市民の紫式部への熱い思いや誇り、そして彼女が越前国府で過ごした時代から紡がれてきた、この越前の文化を広く全国の方に知っていただきたいと願っています。
温かいご支援を、どうぞよろしくお願いいたします。

同志社女子大学名誉教授 朧谷 寿 様

応援のメッセージ

写真

紫式部は、父の赴任に同道して越前国に赴き、20代半ばにして 都を離れて地方生活を体験したのである。
彼女をはじめ王朝女流作家の多 くは、教養ある受領の家庭の娘が多いことが共通点である。
旅と縁遠い当時 にあって、京で生まれた人は、都の周辺を知る程度で遠方の地方を知らずに生涯を終えるのが普通だった。したがって受領の家庭は、地方の様子を知る機会に恵まれ、このことか彼女たちの作品を豊かにしている。そこに描かれる地方は、各人が住んだ土地である。

そういえば『源氏物語』の泰斗、故清水好 子先生が「紫式部の越前市での生活の体験は『源氏物語』の〈手習〉〈玉鬘〉 の巻に投影されている、特に自然描写の面などで……。都会のみの生活では 出てこない。その意味で、地方生活体験者であったということは重要」と、生前に源氏物語アカデミーで話されたことを思い出した。
国司の交代は、数年単位で見られたから、これが日本60余カ国となると、 400年の平安時代だけでも夥しい回数にのぼる。にもかかわらず、伝えられ るものは皆無に等しい。当事者たちが、その様子を記録しなかったのであろうか。

こうした全国でも極めて珍しい旅の再現に向けて、越前市が取り組む意義は大きい。私も長年にわたり源氏物語アカデミーの監修者として越前市の皆様と活動を続けてきた。このプロジェクトが成功するよう応援していきたい。皆様の温かいご支援をお願いいたします。

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

お礼の品一覧

  • 2024年01月12日 15:16

    目標金額達成の御礼

    越前市ブランド戦略課です。

    多数の皆様からのご支援により、目標金額を達成することができました。
    「越前下向の旅を再現プロジェクト」の目的及び内容について、ご支援を賜り厚く御礼申し上げます。

    1月7日(日)、福井県越前市とゆかりが深い紫式部の生涯を描くNHK大河ドラマ「光る君へ」放送が開始されました。放送初日には、越前市いまだて芸術館で、多くの市民が参加し、パブリックビューイングが行われ、京都と中継を結びました。

    本プロジェクトについても、目標金額達成後も、継続して寄附を受け付けさせていただきます。残り期間、引き続きのご支援をよろしくお願いいたします。また、お知り合いなどにご紹介いただけますと幸いです。

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    ~福井県越前市のガバメントクラウドファンディング®~
    【紫式部の生涯でただ一度の旅を再現】越前下向の旅を再現プロジェクト
    https://www.furusato-tax.jp/gcf/2775
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  • 2024年01月12日 09:24

    同志社女子大学名誉教授「朧谷寿」先生からの応援メッセージ

    紫式部は、父の赴任に同道して越前国に赴き、20代半ばにして 都を離れて地方生活を体験したのである。
    彼女をはじめ王朝女流作家の多 くは、教養ある受領の家庭の娘が多いことが共通点である。
    旅と縁遠い当時 にあって、京で生まれた人は、都の周辺を知る程度で遠方の地方を知らずに生涯を終えるのが普通だった。したがって受領の家庭は、地方の様子を知る機会に恵まれ、このことか彼女たちの作品を豊かにしている。そこに描かれる地方は、各人が住んだ土地である。

    そういえば『源氏物語』の泰斗、故清水好 子先生が「紫式部の越前市での生活の体験は『源氏物語』の〈手習〉〈玉鬘〉 の巻に投影されている、特に自然描写の面などで……。都会のみの生活では 出てこない。その意味で、地方生活体験者であったということは重要」と、生前に源氏物語アカデミーで話されたことを思い出した。
    国司の交代は、数年単位で見られたから、これが日本60余カ国となると、 400年の平安時代だけでも夥しい回数にのぼる。にもかかわらず、伝えられ るものは皆無に等しい。当事者たちが、その様子を記録しなかったのであろうか。

    こうした全国でも極めて珍しい旅の再現に向けて、越前市が取り組む意義は大きい。私も長年にわたり源氏物語アカデミーの監修者として越前市の皆様と活動を続けてきた。このプロジェクトが成功するよう応援していきたい。皆様の温かいご支援をお願いいたします。

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福井県越前市

越前市は、「大化の改新」のころに越前国の国府が置かれ、北陸地方の政治・経済・文化の中心地として栄えました。紫式部も手にしたであろう「越前和紙」や、紙の神様が祀られている「紙祖神 岡太神社・大瀧神社」、歌にも詠まれた「日野山」、学識者たちの綿密な時代考証と叡智を集めて造られた全国で唯一の寝殿造公園である「紫式部公園」、越前での暮らしを紹介する「紫ゆかりの館」のほか、逸品である「越前おろしそば」や、「越前がに」をはじめ新鮮な魚介類も堪能いただけます。まち全体を「しきぶきぶんミュージアム」として楽しんでいただけるよう準備してお待ちいたしております。
令和6年3月16日には、北陸新幹線が福井延伸され、本市にも新駅「越前たけふ駅」が設置されます。ぜひ紫式部が暮らした越前市にお越しください。