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岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所「落合宿本陣」の歴史を守り、後世に伝えたい・・・!未来に伝える整備プロジェクト

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

main_img 達成

寄付金額 14,559,000

145.5%

目標金額:10,000,000

達成率
145.5%
支援人数
921
終了まで
受付終了

岐阜県中津川市(ぎふけん なかつがわし)

寄付募集期間:2023年10月3日~2024年1月1日(91日間)

中津川市

プロジェクトオーナー

平成22年(2010)2月に国史跡「中山道」へ追加指定された落合宿本陣は、岐阜県内で唯一本陣建築が現存する重要な史跡として知られています。
まちづくりの拠点としても期待され、現在は地元ボランティアが毎週日曜日と祝日(12月から翌2月の期間を除く)には主屋や表庭の無料公開を行っています。
創建から最低でも100年以上、最大で200年余りを経た建物群には老朽化が目立ち、本格的な修繕には数年前の概算段階でも最低6億円を超える規模の予算が必要となることが分かっています。

現在は、応急修繕を繰り返しながら保全を図っている状況ですが、改修・整備を経てかつての姿を取り戻した落合宿本陣を1日も早く皆様のお目にかけるべく、各種調査や計画策定についても推し進めております。
皆様のご支援・ご協力をどうぞよろしくお願いいたします。

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ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

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結果:-

落合宿本陣の歴史を守り伝えたい

岐阜県内でただ1つ本陣建築が残された場所

落合宿本陣主屋内部の様子

落合宿本陣とは、中山道落合宿において、大名や公家、幕府の役人などが休泊した江戸幕府公認の宿屋をいいます。
中山道44番目の宿場町、落合宿は、山深い木曽路を目前に控えた美濃国最東端の宿場町であり、古今、多くの旅人が立ち寄りました。

『前田慶次道中日記』(1601)にも安らいの地として「落合の宿」が登場し、貝原益軒の『木曽路之記』(1721)では「木曽路を出て、ここに出れば、まづ我家に帰り着きたる心地する」と紹介されています。
江戸へ向かう7代目市川團十郎が追い剥ぎに狙われた際に救いを求めた宿場として、映画「十三人の刺客」の舞台としても知られています。

高貴な人々が利用した上段の間

平成22年(2010)2月に国史跡「中山道」に追加指定された落合宿本陣には主屋・土蔵・離れといった歴史的建築物が残されていますが、この内、主屋の中には実際に高位の人々が宿泊・小休した座敷が残されています。

落合宿本陣に宿泊した人物としては、水戸の徳川齋昭へ降嫁した登美宮や第十三代将軍徳川家定へ降嫁した有姫などが知られ、苗木城主として知られる苗木遠山家が落合宿本陣を利用していたことも記録に残っています。この他にも、現在も残る本陣の御門は加賀前田家から贈られたものであるとか、第十四代将軍徳川家茂に降嫁する際に和宮が小休したというような伝承も残されています。

落合宿本陣の主屋は、文化元年(1804)と文化12年(1815)の大火で焼失した後、文化15年(1818)頃に再建されたもので、明治時代の改修を経て現在の姿になりました。
本陣建築が現存する例は全国的に見ても少なく、岐阜県内で見れば落合宿本陣が唯一となっており、それだけをとっても非常に重要な史跡であると言えます。
明治時代に入って本陣名目が廃止された後も、明治13年(1880)の明治天皇巡幸に際して小休場所となるなど、落合宿本陣は中山道に関わる重要な役割を果たし続けました。

床下確認状況

落合宿本陣の歴史的・文化的価値を明らかにし、整備の方針を定めるべく、現在、中津川市では様々な調査を進めています。
昨年度は名古屋工業大学名誉教授による土蔵・離れの建築学的調査、今年度は名城大学名誉教授による庭園調査や株式会社文化財保存計画協会による史跡全体の状況調査を実施しており、来年度には敷地内の発掘調査や地形・石垣の詳細測量を予定しています。

歴史的建築物を劣化・倒壊から守りたい

安全な建物として活用するために

土蔵の構造支持工事

現在、毎週の日曜日や祝日に落合宿本陣の主屋や表庭を無料公開していますが、敷地内に存在する歴史的建築物の内、土蔵や離れについては老朽化や雨漏り等で蓄積した歪みによって特に安全性が損なわれた状況にあり、内部や外観をご覧いただけない状況にあります。

土蔵や離れといった建築物は、かつて落合宿本陣の役目を務めた井口家が明治維新後の社会情勢に対応する過程で建築したものであり、中山道落合宿が近代化へ踏み出していった歴史の一端を反映するとともに、その建築的特徴から、近代和風建築としても高い価値を有します。

離れの構造補強工事

雨漏り防止のため土蔵や離れに設置したシートは特別丈夫なものを選んではいますが、台風の度に破れてはまた新しいものを設置するということを繰り返し、倒壊を防ぐために土蔵の構造支持工事や離れの構造補強工事も実施していますが、あくまで応急的なものであり、本格的な改修・整備が実施されるまでの時間を稼ぐものに過ぎません。

左:修繕前/右:修繕後 修復された主屋小姓の間
左:修繕前/右:修繕後 修復された主屋土壁

現在一般公開している主屋に関しても、損傷の大きかった小姓の間を令和元年(2019年)に仮復旧、また、今年度5月末の局所的豪雨によって崩落した壁面の復旧を行うなど、度々劣化に対する対応を迫られています。

こうした度重なる応急修繕は市の財政にとっても大きな負担となっており、本格的な改修・整備の実施が待たれるところではありますが、その実施にも莫大な費用が必要となります。
史跡内の歴史的建築物を守り、安全な施設として活用していくため、皆様のご支援・ご協力をお願いいたします。

まちづくりの拠点にしていきたい

地元住民が立ち上げたガイドボランティアとの連携

落合宿本陣一般公開の様子

落合宿本陣では平成29年(2017年)3月から表庭と主屋の一般無料公開を実施していますが、その担い手となっているのが落合まちづくり推進協議会に所属する落合宿本陣ガイドボランティアの会のメンバーです。

ボランティアの会のメンバーは、毎週の日曜日と祝日(12月~翌2月を除く)に自らの学びの成果を取り入れ、工夫を凝らしたガイドを行う一方、湿気による建築物の劣化を防ぐための空気の入れ替えや、草刈り等にも積極的に取り組んでいただいています。

外国人観光客に英語で応対する地元高校生

小学生の参加や、地元にある中津高等学校の有志生徒が行う外国人観光客への英語ガイドなど、ボランティアの裾野は広がりつつあります。

落合宿本陣は、地域においてもシンボル的な史跡であり、かつて中山道宿場町の1つとして落合宿が栄えたように、多くの人々が行きかい、賑わうようなまちづくりを進めていく上での拠点施設としても期待されています。

【事業実施のスケジュール】
・令和4年度(2022)~令和5年度(2023) 保存活用計画 策定(←現在取組中)
・令和6年度(2024)~令和7年度(2025) 整備基本計画 策定
・令和8年度(2026) 基本設計
・令和9年度(2027) 実施設計
・令和10年度(2028)以降 整備着手

※状況によって変更が生じる場合もあります。

【令和4年度(2022)実施の調査・修繕】
≪調査≫
・土蔵・離れの建築学的調査
≪修繕≫
・主屋 庇修繕
・主屋 西側軒裏修繕
・離れ 外壁養生

【令和5年度(2023)実施中の調査・修繕】
≪調査≫
・史跡内総合状況調査
・庭園調査
≪修繕≫
・主屋 軒裏修繕

【令和6年度(2024)に実施を予定する調査】
≪調査≫
・発掘調査
・詳細地形測量
・石垣測量

【その他継続して実施中の調査】
・史料調査
・絵図調査

【寄附金の使い道】
・落合宿本陣の修理整備に必要となる費用の一部

※目標額を上回った場合、下回った場合でも本事業に活用させていただきます。

寄附者の皆様へ

中津川市長 青山 節児

写真

中津川市には中山道の宿場町が3つあり、中津川宿、馬籠宿、そして、落合宿とそれぞれ異なった趣があります。落合宿の重要な核となる所と言えば、やはり国指定史跡の落合宿本陣です。

中津川市では、この落合宿本陣を保存し、歴史を体感できる場としての活用を目指していますが、築後100年から200年を経過した建物は老朽化が進んでいます。
この大切な文化財を未来へと継承するため、落合宿本陣整備に向けた「整備計画策定委員会」を立ち上げ、多くの方に見学していただくことで、観光や地域振興につなげられるよう、貴重な建築物をどのように改修すべきかを検討しています。

一日も早く、整備・改修を終えた落合宿本陣の姿を多くの方々にご覧いただき、落合宿の歴史に触れられるような場所にしていくためにも、全国の皆様から多くの温かいご支援をいただけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

落合宿本陣の歴史を守り、まちづくりの拠点にしていきたい

落合宿本陣ガイドボランティアの会 会長 水野 克司

写真

私たちは、中山道落合宿本陣のガイドボランティアとして本陣の維持管理に携わり、訪問者へのガイドとして活動しています。

落合宿は中山道沿線に江戸から数えて44番目に置かれた宿場です。江戸時代には宿場が2度も火事によって焼失し、本陣の主屋も文化15年(1818年)頃に再建されたものが、明治時代の一部改修を経て現在に至っています。

本陣には貴重な歴史的建造物が残っていることも評価され、平成22年には国史跡「中山道」の一部として追加指定されました。中でも主屋は中山道の岐阜県内17宿場で唯一現存している本陣建築です。

建物の中には既に200年を経過した箇所もあって損傷が各所でおこり、毎年修理がされていますが、劣化は今後も続くものと思われます。
私たちも本陣維持管理に努め、一日でも早い復元を願っています。
ただ、多額の経費が掛かりますので、皆様からのご支援をいただきたくお願いいたします。

中津川市自慢のお礼の品

現在進捗情報はありません。

岐阜県中津川市

岐阜県の東南端に位置し、東は木曽山脈、南は三河高原に囲まれ、中央を木曽川が流れる自然豊かなまちです。
古くは、東山道、中山道、飛騨街道などの交通の要衝として栄え、近年では中核工業団地の完成により、商工業都市として成長してきました。
一方、豊かな自然環境のなかで算出される東濃桧は、伊勢神宮の式年遷宮で御神木として使用されるほど有名です。

また、優れた農産物などを産出する農業地域でもあり、地場産業の盛んな都市です。
そして、リニア中央新幹線により、市内にリニア岐阜県駅(仮称)が誕生します。
中津川市は、今も昔も交通の要衝として、人、モノ、情報の行き交うまちとして、これからも歴史を歩み続けていきますので、
応援をよろしくお願いいたします!

■中津川市を代表する主な返礼品
・「中津川市発祥の栗きんとん」をはじめとする和菓子
・地域で育まれた飛騨牛
・清流が育む地酒
・伊勢神宮式年遷宮の御神木としても有名な木工製品
・栽培に適した気候で栽培するシクラメン など

全国に誇る名産品をたくさん揃えました。

一つ一つのお礼の品にこだわりを持って掲載しております。
ぜひお時間のある時にじっくりお選びください

期間限定や数量限定のお礼の品もございますので
まめにチェックしてみてください

そしてぜひ中津川市にお越しください。