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世界に誇る友愛の偉人 松江豊寿の功績を後世に継承しよう -顕彰碑建立事業-②

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 1,113,635

55.6%

目標金額:2,000,000

達成率
55.6%
支援人数
41
終了まで
受付終了

徳島県鳴門市(とくしまけん なるとし)

寄付募集期間:2017年12月1日~2018年2月28日(90日間)

徳島県鳴門市

プロジェクトオーナー

第一次世界大戦時に、板東俘虜収容所の所長としてドイツ兵捕虜への人道的な処遇を行い、日独友好の礎を築いた松江豊寿の功績を後世に継承するため、顕彰碑(銅像)を建立する資金を募集します。本事業への寄付金の募集は、昨年度に引き続き2回目となります。皆様のご支援をよろしくお願いいたします。

第一次世界大戦から始まったドイツとの交流

 1914年(大正3年)に起きた第一次世界大戦。我が国は日英同盟の関係からドイツに宣戦布告をし、ドイツ兵約5,000人が守る中国・青島を陥落させました。

板東俘虜(ばんどうふりょ)収容所

 約4,700人のドイツ兵捕虜が日本に送られ、当初東京から熊本までの12ヶ所に収容されました。その後、収容所は6ヶ所に統合されることとなり、四国の3つの収容所は、新設された板東俘虜収容所(現徳島県鳴門市)にまとめられました。

ドイツさん ~地元民とドイツ兵捕虜の心温まる交流~

地元民とドイツ兵捕虜との交流

 1917年(大正6年)、突然現れた新しい施設と、約1,000人のドイツ兵捕虜に地元民は驚きましたが、四国88ヶ所霊場一番札所がある土地柄、お接待を重んずる風習もあり、「ドイツさん」と親しく接するようになりました。

 ドイツ兵捕虜も畜産や製パンなどの産業指導、スポーツや芸術指導のほか、牧舎を設計し、地元の大工とともに建設したり、地元民の生活を便利にするための橋を建設するなど、戦時中とは思えない交流が行われました。

板東俘虜収容所長 松江 豊寿

世界に誇る友愛の偉人

松江豊寿(まつえ とよひさ)

松江豊寿(まつえ とよひさ)

1872年7月11日(明治5年6月6日) - 1956年(昭和31年)5月21日)
日本の陸軍軍人、政治家

 
 世界大戦時には、劣悪な住環境で過酷な労働を強いられる強制収容所が各地にあったなか、板東俘虜収容所では所長の松江豊寿の博愛の精神に基づく方針により、自由な気風あふれる収容所運営がなされました。

ドイツ兵捕虜によりベートーヴェン「第九」交響曲がアジアで初めて全曲演奏

 松江豊寿をはじめとする、職員の捕虜に対する人道的な処遇や、捕虜と地元民との国境を越えた心温まる交流など、様々な交流が織りなされ、1918年6月1日、ドイツ兵捕虜によりベートーヴェン「第九」交響曲がアジアで初めて全曲演奏されました。

捕虜であっても自由な生活 ~商業、スポーツ、文化活動を行う捕虜たち~

■菓子店「ゲーバ」
 ドイツ語の板東俘虜収容所(Ge(ゲー)fangenenlager Ba(バ)ndo)の略称からとったこの菓子店は、2年半で36,000kgの小麦粉と、13,000個の卵が使われたそうです。祝祭日などには、パウンドケーキなどを中国や日本に住むドイツ人に送り、喜ばれたようです。

■スポーツ活動
 収容所が開設してまもなく松江所長をはじめ管理者側は地元の人々と交渉して、収容所(57,000㎡)の前に、最終的には34,000㎡もの土地を「菜園地及び運動場」として借り受けました。

■音楽活動
 オーケストラや合唱団・吹奏楽団が活発な活動を行い、一週間に1回演奏会が開催され、収容されていた間に、100回以上の演奏会を開催し、300曲ほどの楽曲が演奏されました。

 なぜ板東俘虜収容所の捕虜達はこれほど自由があったのか、なぜこれほど地元民と交流が図られ、「模範収容所」とも呼ばれていたのか、それは板東俘虜収容所所長松江豊寿の運営姿勢を抜きにしては語れません。

武士の情けと思いやりの心

「世界のどこに、バンドーのような収容所があったでしょうか。世界のどこに、マツエ大佐のような収容所所長がいたでしょうか。」

板東のみならず、第二次世界大戦時のシベリアでも捕虜生活を送ったパウル・クライ氏の言葉です。

■友愛の原点
 松江所長の父は明治維新時の賊軍、会津藩の出身であり、松江豊寿自身も苦しい生活を送り、敗者の心情をその身で受け止めながら成長しました。彼の口癖は「武士の情け」であったといいます。敗者や弱者への人並みはずれた人道的共感が、捕虜達への接し方にも表れていました。
 単に哀れみや同情ではなく「祖国のために堂々と精一杯戦った」勇士への礼節をつくし、自らの信念を貫いたといえます。

 「温和で包容力に富んだ人柄だった」と、彼を知る人は口を揃えて賞賛しています。東映映画『バルトの楽園』では、松江豊寿の人権尊重の精神や思いやりの心が、日本のみならず欧米諸国でも放映されました。捕虜を人間として信頼し、心服させた運営方針は今日から見ても、民主的かつ人道的と評価されています。

松江豊寿の功績を後世に継承しよう

2018年に迎える「第九」アジア初演100周年に向けて

鳴門市ドイツ館

※鳴門市ドイツ館

ふるさと納税で松江豊寿の博愛の精神を未来に継承!

 鳴門市では、松江豊寿の残した功績は、今も続く日独交流の礎となっており、戦争下の敵対する関係であっても、互いの尊重と理解を通じた交流が可能であることを象徴しており、未だ紛争の耐えない現代において希望を与えるものとして、後世に継承すべく顕彰をしています。

 2018年に迎える「第九」アジア初演100周年を契機に、その功績をさらに発信していくため、松江豊寿銅像建立実行委員会により、鳴門市ドイツ館の敷地内に顕彰碑を設置するプロジェクトが進められています。

■目標200万円の使い道

 当プロジェクトには、顕彰碑(銅像)の制作費及び建立費約850万円をはじめ、1,100万円余りの費用が必要です。いただいた寄附金は、顕彰碑の制作費及び建立費の一部に活用させていただきます。

※現鳴門市ドイツ館は、板東俘虜収容所での出来事を後世に伝えるため、また鳴門市における国際交流の拠点として、1993年に建設されました。
館内には、ドイツ兵捕虜やその子孫から寄贈された当時の貴重な資料が数多く保存されており、映像・模型・ジオラマ・ロボットなど、様々な設備があります。

※現鳴門市ドイツ館は、板東俘虜収容所での出来事を後世に伝えるため、また鳴門市における国際交流の拠点として、1993年に建設されました。
館内には、ドイツ兵捕虜やその子孫から寄贈された当時の貴重な資料が数多く保存されており、映像・模型・ジオラマ・ロボットなど、様々な設備があります。

ドイツ館館内展示

世界平和と友好のメッセージを世界に発信

 鳴門市には、「板東俘虜収容所関係資料」として当時のコンサートプログラムなどの印刷物など、約3年半にわたるドイツ兵捕虜の生活と文化活動の記録、ドイツ兵との心温まる交流の記録が残されています。

 板東俘虜収容所に関する史実を継承し、友愛の精神とともに平和の尊さを広く発信していくため、鳴門市と徳島県は、2018年にこの「板東俘虜収容所関係資料」をユネスコ「世界の記憶」に申請する予定としています。

プロジェクト更新情報

(12/15更新)建立予定日が2018年6月1日に決定いたしました!

板東俘虜収容所跡地付近に建設されている、鳴門市ドイツ館前に本プロジェクトにより制作される、松江豊寿氏の胸像が建立されます。
建立は1918年6月1日のベートーヴェン「第九」アジア初演から100年後を迎える、2018年6月1日を予定しております。引き続きの応援をよろしくお願いいたします。

 寄附で選べるお礼の品

 当プロジェクトの趣旨にご賛同いただき、10,000円以上の寄附をいただいた方には、記念品をお選びいただけます。

※複数回の申込みも可能です。1回ごとの寄附金額に応じて、記念品が選択できます。

現在進捗情報はありません。

徳島県鳴門市

当市は四国の東部、徳島県の東北端に位置しており鳴門海峡をへだてて淡路島に対峙し、本州と結ぶ四国の東玄関をなしている。特に、当市の北部は瀬戸内海国立公園に指定され、北に播磨灘、東に紀伊水道をのぞみ、鳴門海峡の急流と逆巻く渦潮でその名を知られた景勝地である。平成10年に神戸淡路鳴門自動車道が開通、さらに平成14年には高松自動車道が全線開通したことから、四国・本州の交流拠点都市として、恵まれた自然や歴史、文化などの観光資源を活かした観光客の誘致や、全国的に高い評価を受けている「鯛」、「ワカメ」、「さつまいも」、「レンコン」など数多くの特産物のPRを推進しています。