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【達成まであとひと押し!】子供たちにつなごう!知立まつりの「山車」の修復で「山車文楽」を未来へ!

愛知県知立市 愛知県知立市

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寄附募集期間:2017年4月5日~2017年9月30日(179日間)

寄附金額
5,264,000
支援人数
43
達成率
75.2%
目標金額
7,000,000円
終了まで
受付終了

愛知県知立市

プロジェクトオーナー

ユネスコ無形文化遺産、国指定重要無形民俗文化財である「知立の山車文楽とからくり」は、2年に1度の知立まつり(本祭)で上演されます。3人遣いの人形浄瑠璃を山車の上で上演する「山車文楽」が見られるのは知立市だけ。
糸でからくり人形を操り、浄瑠璃にあわせて芝居を演じる「山車からくり」は全国的にも珍しいものです。「山車文楽とからくり」は、山車の上で文楽とからくり人形を演じることに意味があるのです。
知立市文化会館「パティオ池鯉鮒」では1年を通して山車を見ることができますが、山車の幕、台輪・軸が劣化していて、それを修理し、まつりだけでなくイベント時にも山車文楽を上演することができるようになります。
江戸時代からの伝統と技術を未来へ受け継ぐため、山車の修理費用をこのプロジェクトで募ります。ご協力をお願いします。

【8/23追記】地元企業様などからの市へ直接頂いたご寄附をプロジェクトページの金額へ反映いたしました。目標金額まであとひと押しになりますので、最後のひと押しとなるご支援をどうかよろしくお願いいたします。

愛知県知立市

愛知県のほぼ中央に位置する知立市は江戸時代には東海道39番目の宿場町「池鯉鮒宿」として栄え、現在も主要道路、鉄道が交わる交通の要衝です。
知立市八橋町は『伊勢物語』でも知られるように、平安の歌人・在原業平が句の頭に「かきつばた」を入れて詠んだ和歌が有名な、かきつばたの群生地でした。
かきつばたは今でも知立市の花。5月中旬が見頃になっています。※和歌は「かきつばた きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」。

GCFプロジェクト進捗情報一覧

現在進捗情報はありません。

このクラウドファンディングは『ふるさと納税』対象事業です!

ふるさと納税とは、自治体への寄附金のことです。個人が2,000円を超える寄附を行ったときに住民税のおよそ2割程度が還付、控除される制度です。

ふるさと納税をもっと知る
私はふるさと納税をいくらできる?(寄附金控除額のめやす)
ふるさとチョイスのガバメントクラウドファンディングについて

≪中間報告について≫


 4月5日から実施中のガバメントクラウドファンディング事業【ユネスコ無形文化遺産登録!】子供たちにつなごう!知立まつりの「山車」の修復で「山車文楽」を未来へ!につきまして、全国の方々より多くのご賛同をいただき、誠にありがとうございます。

 現在までにご賛同いただきました寄附金は、次のように活用させていただく予定です。
・山車の水引幕及び大幕の新調・・・今年の秋以降に発注を行う予定で、来年度中の完成を目指しています。
・山車の車輪等の修復・・・今年度中に山車の車輪や手すりなどについて、塗装や補強材を使った老朽化対策などを行う予定です。

 なお、当初の掲載におきましては、山車を修復して外に出せるようにすることで、イベント時には山車を動かして、文楽を演じることを計画しておりましたが、山車修復のための詳細な調査を実施したところ、想定していた以上に老朽化が著しく、車輪や軸などを修復しても、山車を外に出して動かすことによる荷重には耐えられないことが判明いたしました。

 山車を外に出して動かすことは叶わないまでも、修復した山車を活用して、様々な機会を通じて、山車文楽をより身近に感じていただきたいと考えています。 既にご寄附をいただいた皆様に対しましては、急きょの計画変更となり、誠に申し訳ございませんが、ご理解いただければ幸いです。

 また、現在までに多くのご賛同をいただき、目標金額の達成まであと少しと迫りました。このため、9月末までプロジェクト期間の延長を実施しておりますので、皆様の温かいご支援をお待ちしております。

知立まつりの「山車」の修復で「山車文楽」を未来へ!

知立まつりとは?

江戸時代に、名古屋の熱田神宮、三島の三嶋大社と並んで、東海道三社に数えられた知立神社。

その、知立神社の祭礼が知立まつりです。毎年5月2・3日の2日間、本祭(ほんまつり)と間祭(あいまつり)が交互に開催されています。

2年に1度の本祭で奉納されるのが、高さ約7メートルの山車のなかにしつらえた舞台で演じられる山車文楽と、山車からくり。

国の重要無形民俗文化財に指定されていて、2016年12月には山車など「山・鉾・屋台」を用いる全国の33の行事とともに、ユネスコ無形文化遺産に登録されました(建築など有形文化財を対象とする「世界遺産」に対して、「ユネスコ無形文化遺産」は音楽・舞踏・劇などの芸能、伝承、慣習、儀式、祭礼、伝統工芸など無形のものを対象としていて、日本では今まで「能楽」「人形浄瑠璃文楽」「歌舞伎」「雅楽」「アイヌ古式舞踊」「和食」「和紙」などが登録されています)。

山車文楽と山車からくり

「全国人形浄瑠璃の祭典」で上演された知立山車文楽

室町時代に成立した「浄瑠璃」は物語を口で語って聞かせる「語り物」の一種で、これが人形芝居と組み合わさって「人形浄瑠璃」となり、江戸時代に流行しました。人形浄瑠璃は、語りを担当する「太夫(たゆう)」、伴奏を担当する「三味線」、人形を担当する「人形遣い」の「三業(さんぎょう)」がひとつの舞台を作り上げる総合芸術です。そして、文楽は、人形浄瑠璃のうち、関西の文楽座発祥のものをいいます。文楽においては「浄瑠璃」の流派のうち、竹本義太夫が創始した「義太夫節」が演じられます。

文楽では普通、3人が人形1体を操ります(三人遣い)。「主(おも)遣い」は首(かしら)と右手、「左遣い」は左手、「足遣い」は両足を操ります。三味線の低音が響くなか、太夫が多人数の声を演じ分けます。人形、三味線、語りの三者が息を合わせることで、人形がいきいきと動き出します。

この、日本の伝統芸能「文楽」を山車の上で上演するのが知立の山車文楽です。知立以外に山車での文楽上演を行っているところは見あたらないということです。

文楽に対し、からくり人形は、動画を見て頂ければわかりますが、人間が舞台の後ろで操作して、随所に工夫された機械仕掛けが稼働します。

知立においては、たくさんある糸を操ることで、人形がなぎなたをぐるぐる回したり、人形がぱかっと割れて船に早変わりするなど、複雑な仕掛けは見る人をあっと驚かせます。

もともと、名古屋・尾張・知多では山車の上でからくり人形を上演するのが盛んで、からくりを搭載した山車が愛知県内全体で150輌近く存在しているといいます。また、中部地方から離れた場所においても、ユネスコ無形文化遺産に先行して登録されていた日立風流物(茨城県日立市)にいたっては、山車に操り人形を配したのが発展して山車そのものにからくりが組み込まれてきました。

しかし、それらはいずれも、ある芝居の一場面を切り取ったもので、ひとつの芝居として演じるものではありません。それに対して知立のからくりは一つの芝居全体がからくりのみで上演され、「からくりが演劇的に最高の段階にまで到達した」ものと言われています。

知立からくり保存会の上演の様子

※参考文献
「愛知県の山車まつりネットワーク」『文化遺産の世界』Vol.28
知立市史編纂委員会『知立市史』上巻(愛知県知立市,昭和51年)pp.567-8

知立まつりの歴史と伝統

祭礼で山車がはじめて奉納されたのは、承応2年(1653年)のことだと伝えられています。

町民が奉納する山車には領主や地頭などからの寄進はほとんどなかったと考えられており、町民ができる範囲で出し合いつつ、他の町に負けないものをつくろうと努力した積み重ねが、今日も残る立派な山車へと発展していったものと推察されています。

知立まつりで山車を奉納する5つの町ごとに祭惣代を決め、各町が持ち回りで当番を務めて全体を取り仕切ります。

現存する5台の山車はどれもほぼ同じつくりで、高さ6~7メートル、幅2.6メートル弱、長さ約5メートル、車輪の径80センチ、車輪の厚み40センチ、自重約5トンほど。

この5トンの山車が宮入りする際、山車の舵を握る8人の梶棒連が山車の後ろにはり出た梶棒を肩で担ぐことで、山車の後輪を浮かせ、200メートルほど進むという力試しを行うのがまつりの見所のひとつとなっています。これは、天保13年(1842年)、藩主上覧中に、山町の山車の後車輪の車軸が折れてしまい、とっさに梶棒連が梶棒に肩を入れて後輪を浮かせたまま神前まで進んだことが藩主の賞讃を得て、以後、各町がこれにならって今日まで続いていると言われています。

40年前にまとめられた『知立市史』によると、「4人ずつが2組に分かれて、「空気の入るすきもなく」胸を合わせて1本の梶棒をかつぎ上げることは「胸板の形が変わってしまう」ほどで、「無我夢中で、痛いなんて何も感じなくなってしまっている」というほどだった」と梶見(梶取りの指揮者)も務めた西町の梶棒のOBの方は語っています。

昔ながらの砂利道では山車が揺れて、肩にゆるみができていたのが、最近はアスファルト舗装の道路になってモロに重みが肩にかかり続けることになって、より大変になったということです。

時代の変化に対応しつつ続くまつり

時代の変遷により、知立まつりは変化を余儀なくされた部分もありますが、参加者の工夫と努力によってまつりの根本はそのままに続いています。

『知立市史』下巻をひもとくと「知立まつりの山車奉納に強い執着を持つ町民の英智」(下巻p.524)とか、「春の知立まつりに対し、異常なまでの執着を持つ町民」(下巻p.530)などという表現が踊ります。例えば、知立育ちの男たちは宿開きといって、人形・囃子・梶棒をはじめ祭りの準備をするそれぞれ宿が開かれ、語りや三味線など稽古の音が聞こえ出すと、仕事が手に付かず、家にじっとしていられずに夜な夜なそれぞれ担当の宿に行ってしまうのだと言います。子どもらは親と一緒に囃子宿へ、若者は梶棒宿へ、中高年は人形宿へ、長老たちは本宿へ、といった具合。最近は会社勤めの人が増えたので11時ごろにはお開きになるようになりましたが、稽古や準備が終わったあとに酌み交わす酒と語りがやはりまつりの準備には欠かせないのだそうです。

こうしたエピソードから、とにかく並々ならぬ意気込みをもってまつりに臨んでいることが伺えます。

そんな、熱意いっぱいの知立市民は時代の変化にどのように対応してきたのでしょうか。

明治44年(1911年)には知立に電話、翌年には電灯が導入され、当然、旧東海道沿いには電柱が立ち並び、電線が6〜7メートルの高さの山車の前に立ちはだかりました。しかし、町民のまつりへの情熱により、大正5年(1916)の本祭には山車上層部の柱を、必要に応じて下げられるように改造し、電線の下をくぐらせることに成功しました。

戦後、山車の順路となっていた国道1号線は、昭和30年代に入って交通量増加のため交通事故多発地帯と化し、山車曳行が不可能になっていました。昭和33年(1958年)にはまず国道1号線の順路省略を決定。その後、国道1号線バイパスが昭和39年に完成し、昭和43年には、山町・中新町・刈谷道(現在の宝町)の山車の宮入りが可能となり、昭和49年には今までになかった国道155号線バイパスをまたぎこす順路を入れて山車5台揃っての宮入りを可能にしました。

参考文献
知立市史編纂委員会『知立市史』上巻、下巻(愛知県知立市,昭和51年)
「知立まつりと知立山車文楽」、知立山車文楽保存会編『知立之山車文楽Ⅱ~昭和から平成へ~』知立山車文楽保存会、平成21年3月発行、pp.42-5

伝統を受け継ぐ知立市民たちのドラマ

本祭での山車文楽の上演は太平洋戦争や伊勢湾台風による中断もあって、一時期衰退。昭和43年以降は1町のみでは人形が操れなくなり、中新町と山町では合同で上演していました。そんななか昭和51年には山町で人形連が復活。つづいて、昭和56年の人形連が復活しました。
以前一旦途絶えた伝統を今後は継続していくために、また一部途絶えてしまった地域においては伝統を復活させるために、地元の人たちはこの数十年来、中学校のクラブ活動に文楽の内容を取り入れたり小学校の授業で文楽やからくり人形にふれあう機会を設けるなど様々な活動を行ってきました。

再び40年程前に発刊された『知立市史』下巻を見てみましょう。以下は、山町囃子連のOBの方の談話です。「あくまで、今まで先祖から伝えられてきたものを忠実に演じようと思ってやっているんだが、昔のように練習の時間が多くないのと、昔は子供の時から、否応なしに仕込まれたものが、今では頼んでやってもらうようにしていることから、古い人にいわせると、『なっちゃあいない』なんてことを言われるゆえんだろうね」。言葉に苦労の実感がこもっています。

また、当時の西町囃子連には、他町では三味線の弾き手は、三味線を特別に練習した人たちや、昔芸者だった人などによって弾かれたのに対し、若者の中で三味線を弾くことのできる若者が参加していました。この青年は取材に対し多くを語らなかったそうですが、「ギターをひいていたので、やれる人の前でつれ弾きをしておぼえた」、「この町に住む以上、やっぱり何か一つはやらなければおれないちゅうことかな」、「三味線をやる人が少なかったから、出番が多いと思ってやった」と話していたといいます。(pp.538-9)

参考文献
知立山車文楽保存会編『知立之山車文楽Ⅱ~昭和から平成へ~』知立山車文楽保存会、平成21年3月発行、pp.58-9
知立山車文楽保存会編『知立之山車文楽Ⅱ~昭和から平成へ~』知立山車文楽保存会、平成21年3月発行、pp.60-1
知立市史編纂委員会『知立市史』下巻(愛知県知立市,昭和54年)
知立山車文楽保存会『知立の山車文楽』知立山車文楽保存会、株式会社荘人社、昭和55年3月

知立市文化会館に展示中の山車を修復します!

知立がかつて東海道の宿場町であったころの地名「池鯉鮒」が施設名にとなっている知立市文化会館「パティオ池鯉鮒(ちりゅう)」。ここには1年を通して山車が見られるように、常設展示がされています。平成7年に中新町が山車を新調し、パティオのオープンの目玉として平成12年に知立市がその古い山車を展示用に購入。現在、野外展示用にガラス張りになった山車蔵がパティオの敷地内にあって、そこに収められています。

この山車は購入時に展示のための修復は行われましたが、老朽化のため、幕や台輪、軸が劣化した状態です。

みなさまのご協力を得て、まずはこのパティオの山車の修繕に着手したいと考えています。修理が完成すれば、パティオでのイベント時には野外で山車文楽を上演することができるようになります!そうして、山車文楽を上演する場、露出する場を増やすことが伝統をより強いものにしていくものと、確信しております。

お礼の品について