★期間&数量限定★訳あり~国産生ライチ~が今年も登場!!! A1-22545/【 訳あり品 】【 期間限定 】 生ライチ 500g 訳あり 温泉水で育てた希少な 国産 ライチ



お礼の品について
容量 | 垂水産温泉生ライチ(訳あり品) 500g(250g×2パック)18~28玉程度 ※収穫状況によって玉数に多少変更がある場合がございます。 |
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消費期限 | 青果物ですので、到着後は未開封状態で冷蔵庫に入れ、 1週間以内にお召し上がりください。 一度にお召し上がり切れない場合は冷凍庫にて保存し、 お早めにお召し上がりください。 |
申し込み |
何度も申し込み可、オンライン決済限定
【オンライン決済限定】2025年7月上旬頃まで受付
※限定数に達し次第、受付終了いたします。 |
配送 |
2025年6月下旬~7月下旬頃、
収穫に合わせて申込順に発送。(冷蔵) |
アレルギー品目 |
※ 未確認のアレルギー品目があります |
事業者 | 株式会社 財宝 他のお礼の品を見る |
★通常品の選別基準より大きさや着色がやや劣っていたり、
小さなキズがあるため訳ありとなっておりますが、味は変わりません。
ぜひご家庭用としてお召し上がりください!
国産の生ライチを食べたことがありますか?
国内に流通しているライチのほとんどは海外産で、国産はごくわずかと言われています。
さらに、旬の期間が1ヶ月程度しかなく、果汁量が多いため日持ちしにくいことから、市場で流通しているライチはほとんどが冷凍品です。
鹿児島県垂水市にある財宝農場では、温泉水を使用してライチの栽培をしています。
国産生ライチのおいしさを是非味わっていただきたく、特殊加工が施された「P-プラス®」という鮮度保存フィルムで包装し、
冷凍することなく収穫時の美味しさをそのままにお届けします。
皮をむくと、みずみずしく弾力のあるぷりっとした果肉が現れます。
透明感のある乳白色の果肉を一口頬張れば、フレッシュでジューシーな甘い果汁と、芳醇でフルーティーな香りが口いっぱいに広がります。
この時期だけしか味わえない、特別な美味しさです。
【発送について】
※2025年6月中旬~7月下旬頃、収穫に合わせて申込順に発送を行います。
天候等により変動する可能性もございます。あらかじめご了承ください。
※長期不在日、住所変更等がございましたらお早めにご連絡ください。
【賞味期限について】
※お届け後、未開封状態で冷蔵庫に入れ、1週間以内にお召し上がりください。
一度にお召し上がり切れない場合は、冷凍庫にて保管し、お早めにお召し上がりください。
【オンライン決済限定】2025年7月上旬頃まで受付
※限定数に達し次第、受付終了いたします。
【提供】株式会社 財宝

💖国産生ライチ💖~期間・数量限定~
✨✨マンゴー&ゼリーもどうぞ✨✨
カテゴリ |
果物類
>
その他果物
>
果物類 > 果物の詰合せ > |
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- 地場産品類型
1号
自治体からの情報
【ご案内】システム切替に伴う一時停止について

現在予定しているシステム切替作業に伴い、
下記期間中は返礼品の発送手配が一時停止となります。
作業の進捗状況により、停止期間が延長となる可能性がございます。
このため、停止期間前後にお申込みいただいた返礼品につきましては、
通常よりもお届けまでお時間を頂戴する場合がございます。
あらかじめご了承のうえ、お申込みくださいますようお願い申し上げます。
■お問い合わせ先
・垂水市ふるさと納税コールセンター
メール:furusato@tarumizumirai.co.jp
・垂水市役所 企画政策課 秘書広報課
メール:t_hisho@po.city.tarumizu.kagoshima.jp
垂水市について
九つの彩り豊かに 健やかな人を育むまち 垂水
垂水市は、2018年10月で市制施行60周年を迎えました。
■垂水市は市制施行60周年!
本市は、昭和33年10月の市制施行以来、平成30年度で60周年を迎えました。
■地勢について
本市は、目の前に桜島と鹿児島湾(錦江湾)を望む、大隅半島の北西部、鹿児島湾に面するほぼ中央に位置し、鹿児島市と大隅半島を結ぶ海上陸上の要所です。
北に霧島市、西に桜島、東は高隈連山を境として鹿屋市に接し、面積は、約162.12平方キロメートルで37キロメートルに及ぶ海岸線を有し、ブリ・カンパチの養殖漁業が盛んに行われています。気候は温暖で、びわ・柑橘類などの果実やキヌサヤエンドウ・インゲンなどの栽培も盛んです。
また、高隈山系を源に地底から湧き出る「温泉水」は、豊富な天然ミネラルをバランスよく含む健康飲料水として親しまれています。
■歴史について
本市の名称は、垂水城の崖下に、岩の間から清水が滴々と垂れて溜水があり、この辺一帯の唯一の飲料水であったので有名となり、この地名が起こったと言われています。
垂水島津家の元祖忠将は、薩隅日三州中興之賢太守貴久公の次弟にして、忠良入道日新公の二男であり慶長4年(1598年)に種子島から垂水へ移り垂水領主初代となりました。明治維新に至るまで約250年間、垂水を治めました。垂水島津家は、特に文教の振興に力をいれ、当時、文化面においては藩内随一と称されました。
その後、明治22年には市町村制に基づき、鹿児島県垂水村、大正13年に垂水町となり、以来、躍進を続けていましたが、昭和20年8月5日の戦火のため市街地のほとんどが消失しました。翌21年に戦災復興事務所が設置され、現在の市街地形成のもととなる都市計画が進められ、昭和30年に牛根村及び新城村と合併し、同33年10月1日に市制を施行、垂水市として第一歩を踏み出し現在に至っています。

鹿児島県 垂水市