浄法寺塗製造元「うるみ工芸」

1300年の歴史を持つ浄法寺塗。うるみ工芸で作られる浄法寺塗は日常使いの漆器です。 使い込むごとに艶が増す本物の漆器を生活に取り入れることによって、世代を問わず、日本人としての感覚が磨かれることを願って漆器製作に取り組んでおります。 今回は、そんなうるみ工芸の浄法寺塗のご紹介です。 

うるみ工芸について

浄法寺町の天台寺で発祥した浄法寺塗は、主に岩手郡安代町で生産されておりました。その安代町荒沢地区で代々漆器製作に携わっていた勝又吉郎(号 紫山、勲七等青色桐葉章)が戦後盛岡に引っ越して自宅に工房を設け、漆器製作に励んだのがうるみ工芸のはじまりです。
その後昭和51年に滝沢村(現滝沢市)へ工房を移転し、生産体制を充実させ、現在に至ります。

浄法寺塗の歴史について

浄法寺塗の起源は、今からおよそ1300年前の神亀5年(728年)浄法寺町に天台寺が建立され、寺の僧侶の手で自家用什器が作られたことに始まるとされています。浄法寺町は昔から良質の漆に恵まれ、その漆を用いて隣町の安代町荒沢地区周辺で漆器製造が盛んに行われました。そこで作られた漆器が浄法寺町の市日で売られたことから、浄法寺塗と云われるようになりました。
江戸時代の「足沢文書」、「南部文書」等の古文書によれば、17世紀には藩主に椀が献上されており、又他領に対しても当地の塗り物が移出されていたと記録されております。

浄法寺塗の特徴について

浄法寺塗の技術、技法は多彩であり、大きな金箔を貼った「南部箔椀」のように華やかなものもありますが、多くは素朴で温かみのある堅牢で実用的な塗りです。また、丈夫さだけでなく、色の美しさも大きな特徴です。上塗りを終えてそのままの状態で仕上がった漆器は、最初はマットな質感です。それを日々の生活で使用し、磨かれることによって艶が出てきます。5年後、10 年後と使い込んだ漆器にはツヤツヤとした艶が出てくるのです。
 また、色の変化にも面白さがあります。うるみ工芸の漆器は本朱とタメという2色がメインカラーです。本朱は、その名のとおり朱色を基調とした配色になっており、使い込むことによって華やかさが増していきます。もう1色のタメは、時間が経つと上に塗った漆が透明度を増していくので、下に塗った色が透けて見えてきます。うるみ工芸では、創業当初から黒に近いタメを製作してきました。 

製造工程について

漆器の製作には、その製造方法にもよりますが、最低でも3ヶ月はかかります。でもこの3ヶ月という期間は塗りだけの話です。
塗りの前には、木地屋での木材の切り出しや乾燥等の工程があり、数年がかりの作業になります。
塗り屋では下地、中塗り、上塗り、加飾(絵を付ける場合のみ)の作業をおよそ3ヶ月かけて進めていきます。
その工程数は40工程以上で、どの工程も気が抜けません。なかでも、一番神経を使うのは最後の上塗りの仕事です。この上塗りは密室で行われますがチリが付かない様に、何をするにも静かに作業を進めていきます。

うるみ工芸の浄法寺塗のラインナップはこちらです。