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源氏物語のまちづくり
京都・宇治。都にも近く、山紫水明の宇治川に育まれ、風光明媚であったことから平安時代には貴族の別業の地として栄えました。そして、日本の誇る世界最古の長編小説「源氏物語」の最後を飾る宇治十帖の主要な舞台でもあります。 この源氏物語を将来に向かって広く語り継ぎ、まちづくりのテーマとしてさまざまな事業に取り組んできました。 宇治から新しい文化発信を行うため、市民の皆さんからの提案によって「紫式部文学賞」「紫式部市民文化賞」を創設、宇治の観光のきっかけとして古跡をめぐる「宇治十帖スタンプラリー」の実施、そして、「源氏物語のまちづくり」の中核をなす施設として、平成10年に「宇治市源氏物語ミュージアム」を開館しました。 また、これに引き続き、「源氏物語散策の道」の整備、「宇治田楽まつり」の開催等、多種多様に取り組んでいます。 源氏物語関連のページはこちら http://www.city.uji.kyoto.jp/category/5-3-0-0-0.html 宇治市源氏物語ミュージアムのホームページはこちら http://www.uji-genji.jp/
写真:秋の源氏物語ミュージアム -
貴重な歴史的文化的遺産の保護と活用
<平等院>
平安時代の後期、1052年に宇治関白藤原頼通(よりみち)が、父道長の別荘を寺院に改めたものです。「鳳凰堂(ほうおうどう)」は、その翌年に阿弥陀堂として建てられ、仏師定朝(じょうちょう)の作になる阿弥陀如来像が安置されている中堂と、左右の翼廊、背面の尾廊で成り立っています。大屋根には鳳凰が飾られ、内部は絢爛な扉絵で装飾されていて、二重の天蓋や雲中供養菩薩も必見です。周囲には池を配した庭園(史跡・名勝)があり、創建当初は宇治川や、対岸の山並みを取り入れ、西方極楽浄土を現したものといわれ、各地の寺院造営に影響を与えました。
<宇治上神社>
明治維新まで、「離宮上社」と呼ばれ、祭神は応神天皇とその皇子菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)および兄の仁徳天皇とされています。拝殿は鎌倉初頭のもので、寝殿造りの様相を伝えるなど、特に縋破風(すがるはふ)という手法を用いた屋根や、平安時代後期に建てられた本殿は、現存するわが国最古の神社建築です。また、共通の覆い屋で覆うなど特殊な形式の建物で、社殿にある蟇股(かえるまた)も建築年代を示すものとして重要です。
<太閤堤>
文禄三年(1594年)豊臣秀吉の伏見築城に伴い、宇治から向島までの「槇島堤」、向島から小倉駅までの「小倉堤」と、淀川右岸の淀堤など淀川水系に施された大土木工事の総称として太閤堤という用語が使われています。槇島堤は、宇治川左岸の現堤防内に埋没しており、護岸遺溝は、使われている遺物等から、太閤堤と一連のものであることは間違いなく、江戸時代後期の洪水で一気に埋まったため、当時の状態で発見できました。また護岸形状の違いや、築城技術の援用などのさまざまな工夫がみられ、日本の大規模治水開始初期の姿を伝える遺跡と注目されています。
太閤堤関連のページはこちら
http://www.city.uji.kyoto.jp/category/5-5-0-0-0.html -
宇治茶の普及
宇治といえば「お茶」。茶の生育に恵まれた気候風土によって昔から茶づくりが盛んであり、全国的にその名を知られています。宇治市では、宇治の代名詞にもなっている「お茶」が伝統産業としてますます発展し、また、お茶の木が市民の皆さんによって守り育てられることを願い、昭和56年3月に「茶の木」を市の宝木に制定しました。宇治茶製法の特色は、手摘み、覆い栽培による優良品質茶づくりにあり、その製法技術は伝統として今日まで引き継がれてきたものであり、今後も引き継がなければならないものです。
宇治茶関連のページはこちら
http://www.city.uji.kyoto.jp/category/5-4-0-0-0.html -
観光振興
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未来を担う子どもたちを育む事業
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その他まちづくりに関する事業
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指定はしません