コクのある濃厚な甘さと上品なオレンジの香り「不知火」 田村産「デコ」不知火[約3kg]湯浅町田村産春みかん(果実サイズおまかせ)/紀伊国屋文左衛門本舗 ※2026年2月中旬~3月下旬頃に順次発送予定(お届け日指定不可)【kstb493A】



お礼の品について
容量 | デコ 約3kg サイズおまかせ |
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消費期限 | 出荷日より7日(賞味期限) |
アレルギー品目 | |
お礼の品ID | 5711366 |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可、オンライン決済限定 |
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申込期日 | 2026年3月5日迄 |
発送期日 |
2026年2月中旬~3月下旬頃に順次発送予定(お届け日指定不可) ※事前にお申し出がなく、長期不在等によりお礼の品をお受取りできなかった場合、再発送はできません。あらかじめご了承くださいませ。 ※到着後は、箱から取り出し風通しのよい冷暗所にて保存してください。 ※出荷の際検品後発送しておりますが、万一商品に問題がございましたら破棄やお召し上がりになる前にご連絡ください。 ※到着予定日から、3日以上経過したものや、破棄されたものにつきましては、ご対応することが出来ませんのであらかじめご了承ください。 【※配送会社によっては日時指定をお受け致しかねます。恐れ入りますが、ご自身で配送会社のホームページやお電話などでご変更いただきますようお願いいたします。】 |
配送 |
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コクのある濃厚な甘さと上品なオレンジの香り「不知火」。
この不知火は静岡生まれ。果汁たっぷりでジューシーな「清見」と、柔軟な果肉と甘みで人気の「ポンカン」の交配品種の柑橘類です。
品種名は「不知火(しらぬい)」ですが、商標として「デコポン」等がありますが、一般通称として、「デコポン」で販売され、ユーザー様に認知されているようです。
地域によっては「ヒメポン」「ラ・ミポリン」等、色々な呼び方で親しまれています。
果実の”デコ”は発芽から開花期までの昼夜の温度差が大きい場合に発生します。”デコ”のあるものないものありますが、甘さ・おいしさには関係ありません。
皮がむきやすく、薄皮ごとパクッと食べられます。 糖度と酸味のバランスが絶妙で毎日食べても全く飽きることのない春の人気柑橘(春柑橘)です。
田村みかんで有名な、有田郡湯浅町田(田村)地区からお届けします。
【注意事項】
※画像はイメージです。
※お届け日指定不可となっております。
※重量は箱詰め計量時となります。
※果実のサイズをご指定いただくことはできません。
※到着後は箱から取り出し、風通しのよい冷暗所にて保存ください。
※商品につきましては、検品後に発送しておりますが、万一商品に問題がございましたら破棄やお召し上がりになる前にご連絡ください。
※商品到着予定日から、3日以上経過したものや、破棄されたものにつきましては、ご対応することが出来ません。
【こちらのお礼品は湯浅町と串本町との共通返礼品となります〔出荷元:紀伊国屋文左衛門本舗契約農家〕】
平成31年総務省告示第179号第5条第8号イ「市区町村が近隣の他の市区町村と共同で前各号いずれかに該当するものを共通の返礼品等とするもの」に該当する返礼品として、湯浅町と串本町が合意したものです。
カテゴリ |
果物類
>
みかん・柑橘類
>
みかん
果物類 > みかん・柑橘類 > デコポン |
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- 自治体での管理番号
- kstb493A
- 地場産品類型
8号イ
串本町について
串本町は、本州最南端の町として知られている町です。
ー自然に囲まれた串本町ー
海岸線は複雑な形のリアス式海岸で、海の浸食を受けた不思議な形の岩が多く存在しています。
特に有名なのは国の天然記念物に指定されている「橋杭岩」です。
大小40余りの岩柱がそそり立っており、その姿は橋の杭の部分だけが経っているように見えます。
黒潮によって暖められた海中には、南国のような美しいサンゴ礁が広がっており、
その光景を見るためにダイビングに訪れる人が大勢います。
大規模なサンゴ礁の中では世界最北端の場所に位置している、
温帯と熱帯が混じった珍しい環境であることからラムサール条約に登録されています。
ー串本町とトルコの友好関係ー
明治23年
日本から帰国途中のオスマン・トルコ帝国の親善大使600名以上が乗船していた船、
エルトゥールル号が台風のため串本町沖で座礁するという事故がありました。
この事故は日本で最大規模の海難事故として知られています。
事故の際に救助を行ったのが串本の大島の住民でした。
住民たちの懸命な救助活動により、翌年には生存した69名が帰国することが出来ました。
昭和60年
イラン・イラク戦争が行われていた当時、
出国しようとしていた200名以上の日本人が満席のためイランの空港に残されてしまいました。
安全が確保できないと日本からの救援も来ない中、助けてくれたのがトルコ共和国でした。
2機の救援機がトルコから救援に訪れ、残された日本人を日本まで送り届けたのです。
イランには、トルコ人も多く在住していましたが優先的に日本人を航空機に搭乗させ、
自分たちトルコ人は1週間をかけ、陸路で帰国しました。
トルコではエルトゥールル号の出来事がずっと語り継がれており、約100年後にその恩返しとして日本人を救ったのです。
その後もお互いに支援しあい友好関係が続いています。
慰霊碑の設立や、トルコとの共同映画製作によってトルコと串本町の友好関係は後世に伝えられています。

和歌山県 串本町