お知らせ

【重要】10月からのふるさと納税制度改正に伴う影響について

2026/08/14 (金) 18:00

【舞鶴通信 Vol.5】歴史を巡る: 平和への祈りをつなぐ「引き揚げ」の港・舞鶴

全国の皆様、こんにちは。舞鶴市ふるさと応援課のサノです。
舞鶴の歴史と食文化を紐解く連載シリーズ。戦国〜江戸時代の城下町「西舞鶴(Vol.3)」、明治の軍港「東舞鶴(Vol.4)」とお届けしてきました。

8月15日の「終戦記念日」を明日に控えた本日。
今回は、終戦後の舞鶴が果たした最も重要な歴史的役割「引き揚げ(ひきあげ)」と、そこに刻まれた真心の物語に迫ります。

少し長くなりますが、今の舞鶴という街の「真心の原点」を知っていただける大切なお話です。
ぜひ最後までお付き合いください。

⚓ 海外に取り残された人々を救う「引き揚げ」と、舞鶴港の記憶

「引き揚げ」とは、昭和20年(1945年)8月に太平洋戦争が終わった際、海外に取り残されていた多くの日本人を日本本土へと安全に連れ戻した大規模な国家事業のことです。

当時、旧満州(現在の中国東北部)や朝鮮半島、樺太、南洋諸島などには、軍人だけでなく現地で暮らしていた家族や一般市民など、約660万人もの日本人が取り残されていました。

交通も通信も途絶した混乱の中、彼らを無事に故郷へ帰すため、政府は全国18箇所の港を「引き揚げ港」に指定します。
しかし、東西冷戦などの国際情勢の悪化に伴い他の港が次々と閉鎖されていく中、舞鶴港だけは昭和33年(1958年)に最後の引き揚げ船が入港するまで、実に13年間もの長きにわたって引き揚げを受け入れ続けました。

舞鶴港が受け入れた引揚者の数は、なんと約66万人。
さらに、途中で命を落とされた方々の約1万6千柱もの遺骨をお迎えしたのです。

「舞鶴(まいづる)」という地名は、西舞鶴にある田辺城の別名「舞鶴(ぶかく)城」に由来します。「鶴が羽根を広げたような美しく穏やかな港」という意味を持ちますが、酷寒のシベリア等での過酷な抑留に耐え抜いた人々にとって、舞鶴湾の静かな入江は、まさに「疲れ果てた羽を休められる、生命の安らぎの港」そのものでした。

🍠 【心づくしの救護】帰還者を温かく迎えた市民の真心

終戦直後の日本は、全国的に激しい物資不足と食糧難に喘いでいました。当然、舞鶴市も例外ではありません。

しかし、海外からボロボロの衣服を纏い、やせ細った姿で帰国する引揚者の方々の惨状を目の当たりにした舞鶴の市民たちは、誰に指示されるでもなく自発的に立ち上がったのです。

「よくぞ生きて帰ってきてくださった」

市民たちは自分たちの乏しい生活の中から、ふかし芋や温かいお茶、粉ミルク、おむつなどを持ち寄り、ふ頭へと駆け付けました。
見知らぬ帰還者を我が家に招き入れて温かいお風呂を提供したり、着ていた服を譲ったり、手足をさすって言葉をかけ続けたり……。行政の支援体制が整う前から始まったこの草の根の温かい救護活動は、「舞鶴市引揚同胞救援会」という組織へと発展し、全国からの寄付や支援を呼びかける大きな運動となりました。

この時、舞鶴の人々が見せた「見返りを求めない真心」は、多くの引揚者の心に深く刻まれ、戦後復興へ向かう日本人の希望の光となったのです。

🕊️【世界が認めた歴史】シベリア抑留と極限状態の人間の尊厳

引き揚げの歴史を語る上で、歌謡曲でも有名になった「岸壁の母」を思い浮かべる方も多いかもしれません。帰らぬ息子を信じ、舞鶴の平(たいら)ふ頭の岸壁に立ち続けて祈りを捧げた母親の姿は、いまも語り継がれる切ない親心の象徴です。

そして、舞鶴が13年間もの間「最後の引き揚げ港」であり続けた最大の背景には、「シベリア抑留」という過酷な歴史がありました。

終戦時、旧ソ連軍によって過酷な酷寒の地・シベリアや中央アジアなどの強制収容所(ラーゲリ)へ連行された日本人は約60万人。
マイナス40度を超える極寒の中、満足な食料も与えられず、何年もの間、過酷な強制労働を強いられました。
約6万人の人々が寒さと飢え、病で命を落としたとされています。

そこでは紙やインクを持つことすら禁じられていましたが、人々は「生きて故郷へ帰る」「舞鶴で家族と再会する」という強い意志を捨てませんでした。

白樺の皮を剥いでノートにし、空き缶で作ったペンと煙突のススで書き残した和歌(白樺日誌) 
 靴の底や服の縫い目に密かに隠し、没収を免れて持ち帰られた命がけの日記や名簿 

厳重な検閲と没収の危険を冒し、命がけで舞鶴へと持ち帰られた言葉たち。
それらは、過酷な抑留生活の中で灯し続けた「生への執念」と「家族への愛」そのものでした。

13年間にわたりそのすべての想いを受け止めた舞鶴港は、まさに人々の願いが結実した「再会と平和の聖地」と言えます。

これらの貴重な資料(570点)は、平成27年(2015年)に「ユネスコ世界記憶遺産(世界の記憶)」に登録され、現在も「どんな過酷な状況であっても希望を捨てない人間の尊厳」として、世界中から尊ばれています。

🌟 最後に

現在、舞鶴湾を見下ろす丘の上に立つ「舞鶴引揚記念館」や、再会の舞台となった「平(たいら)ふ頭」には、いまも平和を願う人々が全国から訪れます。

人々の温かい真心が紡いだ「引き揚げ」の歴史。
舞鶴という街が持つ深い歴史のドラマに思いを馳せながら、ふるさと納税を通じて舞鶴市を応援していただければ幸いです。

※皆様からいただいた「ふるさと納税」の寄付金は、ユネスコ世界記憶遺産である引き揚げ資料の保全や、継承などの取り組みにも大切に活用させていただいております。

応援ありがとうございます!

舞鶴市の人気ランキング

次へ

前へ

舞鶴市の最新情報

もっと見る