野口冨士男戦前日記作成プロジェクト|克明な時代の記録をつなぐ

カテゴリー:伝統・文化・歴史 

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寄付金額 63,000

6.3%

目標金額:1,000,000

達成率
6.3%
支援人数
2
終了まで
78
/ 90

埼玉県越谷市(さいたまけん こしがやし)

寄付募集期間:2024年4月26日~2024年7月24日(90日間)

埼玉県越谷市

プロジェクトオーナー

越谷市立図書館には、越谷市にゆかりのある作家、野口冨士男の文庫があります。この文庫は今年度で開設30周年を迎えます。30周年を記念して、作家・編集者・文学研究者として活動した昭和の文士、野口冨士男が残した日記を発行するための費用をこのプロジェクトでつのります。
ご希望の方は、文庫内の銘板にお名前を記載いたします。ご支援のほどよろしくお願いいたします!

ふるさと納税で
このプロジェクトを応援しよう!

ふるさと納税とは、ふるさとや応援したい自治体に寄付できる制度です。
控除上限額内の2,000円を超える部分について、所得税や住民税の還付・控除が受けられます。

控除上限額かんたんシミュレーション

結果:-

野口冨士男とは

野口冨士男は、日本の文壇の中心人物でした

1911年(明治44年)7月4日、東京生まれ。慶應義塾大学中退、文化学院卒。
1940年(昭和15年)3月3日、越ヶ谷町仲町の歯科医早川三郎の三女直(なお)と結婚。
『風の系譜』で文壇に登場し、その前後から戦後にかけて多くの同人雑誌に関係を持ち、その後文壇で活躍。
多くの文学賞を受賞するなど純文学の中心人物となりました。(日本文藝家協会理事長・日本藝術院会員)
代表作は、『德田秋聲傳』『德田秋聲の文学』『わが荷風』『かくてありけり』『なぎの葉考』『風のない日々』『誄歌』『感触的昭和文壇史』『しあわせ』など。
1993年(平成5年)11月22日、呼吸不全のため永眠。享年82歳でした。

野口冨士男文庫とは

妻の出身地であり、野口冨士男も戦後疎開で過ごした越谷

野口の妻、直が越ヶ谷町(現在の越谷市)出身で、自身も終戦直後の一時期越ヶ谷に住み、海軍応召時の栄養失調症を癒した縁により、生前から取り決めを交わし、1994年(平成6年)に著書や書簡、遺品などの3万点以上の資料が越谷市立図書館へ寄贈されました。
同年10月、越谷市立図書館内に野口冨士男文庫を開設し、毎年秋に講演会と特別展を開催しています。
1997年(平成9年)、蔵書目録の刊行に伴い、図書・雑誌を公開しました。
また、野口冨士男文庫運営委員会が発足し、1999年からは小冊子「野口冨士男文庫」 を毎年刊行しています。今年度は27号を刊行します。

戦前日記をつくりたい!

戦前日記の原資料

戦前日記とは

野口は常日頃からその日常をメモしており、膨大な日記を書き残しています。

今回作成する戦前日記では、その中でも1933年(昭和8年/野口冨士男21歳)から海軍に応召される1944年(昭和19年/野口冨士男33歳)までの日記を収録し、1,000冊作成いたします。
克明な時代の記録として、また日記文学としても読みごたえのある一冊となります。
野口ファンの方、地域の方々にお読みいただくことで、越谷にゆかりのある文学者の日記を楽しんでいただきたいと考えています。

内容を少しだけ紹介

昭和八年(一九三三)

一月三日

昭和八年は僕にとって重大な年であるらしい。この年僕は、学窓を去り、社会の一員となるであろう。それだけに年頭の所感は持たないながらも、過去を顧みたい気持は充分にある。
今後僕一個が、果してどんな風にどんな道を歩き出すかも見当はつかないが、これまでの自分の歩いて来た道は朧気(おぼろげ)ながら解るような気がする。
(中略)
僕が永遠の文学青年でありたいと心に決めていることもまた一つの事実である。そのためにはこの野口冨士男という、年中決意ばかりで実行をしない男は、飽(あ)くまで所説のために粘り強くガンコにならなくてはいけない。
元気に朗らかに、自分の確かな道を捜し出すようにしなくてはいけない。それが結局人類の与えられた運命であり義務であり、しかも人類自らの作ってゆかなければならない真実なのである。

二月二十二日あるいは二十三日

(略)
僕自身の置かれている所が、全体の中のどの位置なのか、これからは注意してかからなければならない。これは作家としてだけでなく、人間として、社会の一員としても必要である。殊に自己勉励のためには最も必要な態度である。
「何を書いたらよいのか」、「何を書いてはいけないのか」、この二つの疑問的な言葉が、今の所、僕には一ばん大きな、そして重要な問題である。これは、作家として、文筆者として、最も致命的な懐疑である。「何故書くか」という問題は、それからずっと後のことである。小説を作ろうとする時、これは苦しい問題となって僕を責める。
「都会挽歌」という一つの題を選んだ。何時か書く日があろう。

過去に出版した刊行物

越ヶ谷日記

野口冨士男生誕100年を記念して、野口が越谷市に疎開した2年間の記録を『越ヶ谷日記』として刊行しました。
この日記には、戦争直後の越ヶ谷の町並、元荒川・久伊豆神社付近の様子、また越谷文化連盟や越ヶ谷町立図書館に関する記述もあり、作家の目から見た越谷の往時の様子がわかるたいへん貴重な資料となっております。

越谷小説集

野口冨士男文庫開設20周年を記念して、越谷を舞台に描いた7作品を集め、『越谷小説集』を刊行しました。収録作品からは、作品の持つ文学的な魅力に加え、越谷市がまだ宿場町の面影を残し、東京近郊の農村地帯であった頃の様子をうかがうことができます。
往時の風景が懐かしく思い起こされる、味わい深い1冊となっております。
収録されている7作品は、「川のある平野」「白鷺」「死んだ川」「うしろ姿」「薄ひざし」「祭の日まで」「桃の花の記憶」です。

寄附金の使い道

いただいた寄附金は、野口冨士男戦前日記作成の費用の一部として活用いたします。(総事業費280万円)

※目標金額に達しなかった場合でも、日記作成の財源として活用いたします。
※総事業費を上回った場合は、図書館運営に係る事業に活用させていただきます。

スケジュール

予定

2024年11月      発行
2024年11月16日(土)~ 販売

野口冨士男文庫運営委員会からのメッセージ

『野口冨士男戦前日記』の刊行について

野口冨士男文庫運営委員会会長 勝又 浩

写真

越谷市の文化遺産の一つに野口冨士男文庫があります。直夫人が越ヶ谷町の出身であった縁で昭和21年から22年にかけて野口冨士男一家としても居住しましたが、その間、町からの依頼で講演などをしてもらいました。
そうしたゆかりもあって、生前から野口冨士男の蔵書や生原稿などを市に寄贈する話が進み、没後、正式に野口冨士男文庫が開設されました。
資料は越谷市立図書館が管理し、運営に野口冨士男文庫運営委員会が関わっています。
主な活動は毎年の、研究小冊子「野口冨士男文庫」の刊行と、11月に作家、批評家、研究者などを招いての講演会、それに合わせた資料の企画展示を行っております。
その他、不定期には野口冨士男の未刊行小説の刊行、日記などの刊行を行ってきました。
これらの活動の一環として、文庫開設30周年に当たる本年は野口冨士男の『戦前日記』の刊行を計画しています。内容は昭和8年から19年、野口冨士男21歳から33歳まで12年間の日記です。
同人雑誌刊行に傾注した学生時代から文壇生活の始まりに至る一文学者の詳細な日常は、研究者、愛読者ばかりでなく、昭和史の一データとしても貴重な資料であると言えます。
刊行に当たっては、この度、クラウドファンディングでその資金を募りたく、広く、全国の皆さんのご理解とご支援を願う次第でございます。

ご希望の方は、ご芳名を掲出いたします!

1万円以上寄附いただいた方が対象

越谷市立図書館2階野口冨士男文庫展示コーナーに掲出いたします。

越谷市立図書館(埼玉県越谷市東越谷四丁目9番地1)

【注意事項】

芳名を希望される方は「ふるさと納税で応援するボタン」より、申込を進めてください。
お申し込みの際、アンケートよりご芳名の提出を「希望する」「希望しない」をご指定いただけます。

このプロジェクトは、お礼の品はございません。

現在進捗情報はありません。

埼玉県越谷市

越谷市は、昭和33年に誕生し、首都近郊のベッドタウンとして人口が急増、平成27年には埼玉県内で2番目の中核市となり、平成30年11 月に市制施行60周年を迎えました。「水郷こしがや」と呼ばれるように元荒川、葛西用水など多くの河川・用水が市内を流れ、農業が盛んに行われてきました。越谷市では将来像として、「水と緑と太陽に恵まれた みんなが活躍する安心・安全・共生都市」を目指しています。そして、越谷市に住んでいる方には「住んでいてよかったまち越谷」「住み続けたいまち越谷」、そしてこれから住まいを決める方には「住みたいまち越谷」と感じていただけるよう市民参加と協働によるまちづくりを進めています。