A1-22489/財宝のおいしい お茶 500ml×24本×2箱



お礼の品について
容量 | ■「おいしいネ。財宝のお茶だもん。」 500ml×24本×2箱(計48本) |
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消費期限 | 【賞味期限】製造日より270日 |
アレルギー品目 | |
事業者 | 株式会社 財宝 他のお礼の品を見る |
お礼の品ID | 4644690 |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可 |
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申込期日 | 通年でお申込みいただけます。 |
発送期日 | 原則、寄附翌月末までに発送。 |
配送 |
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天然アルカリ温泉水「財宝」でじっくりと抽出した、すっきりとした味わいの緑茶です。
茶匠、折田信男氏の煎茶に深蒸茶をブレンド。
温泉水による当社独自の抽出方法により、お茶のうまみを存分に引き出しました。
匠の茶葉と、天然アルカリ温泉水「財宝」の見事なハーモニーをお楽しみください。
※ラベルのデザインが変更になる場合がございます。
【提供】株式会社 財宝

お礼の品感想
ありがとうございました
財宝の水は何度も頼んだことがありますが、お茶は初めて頼みましたが、大変おいしいお茶でした。ありがとうございました。また頼みたいと思います。
このお礼の品を選んだ理由
- おいしそう・面白そうだったから
- 自治体の取り組みに共感したから
- 地元やゆかりのある地域だから
- おいしい
- 応援したい
ひろさん|男性|40代
投稿日:2020年8月14日 07:26
いつも垂水市にご寄附いただき、ありがとうございます!
担当の前畠です。
お褒めのお言葉をありがとうございました!
生産者・スタッフ一同の励みになります。
温泉水から抽出したお茶ですので、飲みやすく、私もよく飲んでいます!
これからもぜひ、ご賞味いただけましたら幸いです。
今後とも垂水市をよろしくお願いいたします。
2021/6/1
500mlサイズが使いやすい
毎日の水分補給に重宝しています。500mlサイズなので毎日出かける際に必ずもって行きます。味がまろやかでおいしいです。
このお礼の品を選んだ理由
- おいしそう・面白そうだったから
- おいしい
- リピートしたい
おこめさん|男性|60代
投稿日:2020年1月14日 09:55
このたびは垂水市にご寄附いただき、ありがとうございます!
担当の福永です。
美味しく飲んでいただき大変うれしく思います。
味がまろやかですのでとっても飲みやすいですよね!
今後ともぜひよろしくお願いいたします。
2021/6/2
カテゴリ |
飲料類
>
お茶類
>
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自治体からの情報
【重要】到着後は速やかに返礼品の状態をご確認ください!

万一、返礼品に不良・破損・誤納品・容量不足などがございましたら、
到着から2日以内に写真(画像)を添付のうえ、
電子メールにてお問い合わせ先までご連絡をお願いいたします。
■お問い合わせ先
・垂水市ふるさと納税コールセンター
メール:furusato@tarumizumirai.co.jp
・垂水市役所 企画政策課 秘書広報課
メール:t_hisho@po.city.tarumizu.kagoshima.jp
日数が経ったものに関しましては、対応いたしかねる場合がございます。
ご了承のうえ、お申し込みくださいますようお願い申し上げます。
垂水市について
九つの彩り豊かに 健やかな人を育むまち 垂水
垂水市は、2018年10月で市制施行60周年を迎えました。
■垂水市は市制施行60周年!
本市は、昭和33年10月の市制施行以来、平成30年度で60周年を迎えました。
詳しい情報は、本市公式サイトからご確認ください。
https://www.city.tarumizu.lg.jp/chiiki/shise/gaiyo/siseiyouran/2018.html
■地勢について
本市は、目の前に桜島と鹿児島湾(錦江湾)を望む、大隅半島の北西部、鹿児島湾に面するほぼ中央に位置し、鹿児島市と大隅半島を結ぶ海上陸上の要所です。
北に霧島市、西に桜島、東は高隈連山を境として鹿屋市に接し、面積は、約162.12平方キロメートルで37キロメートルに及ぶ海岸線を有し、ブリ・カンパチの養殖漁業が盛んに行われています。気候は温暖で、びわ・柑橘類などの果実やキヌサヤエンドウ・インゲンなどの栽培も盛んです。
また、高隈山系を源に地底から湧き出る「温泉水」は、豊富な天然ミネラルをバランスよく含む健康飲料水として親しまれています。
■歴史について
本市の名称は、垂水城の崖下に、岩の間から清水が滴々と垂れて溜水があり、この辺一帯の唯一の飲料水であったので有名となり、この地名が起こったと言われています。
垂水島津家の元祖忠将は、薩隅日三州中興之賢太守貴久公の次弟にして、忠良入道日新公の二男であり慶長4年(1598年)に種子島から垂水へ移り垂水領主初代となりました。明治維新に至るまで約250年間、垂水を治めました。垂水島津家は、特に文教の振興に力をいれ、当時、文化面においては藩内随一と称されました。
その後、明治22年には市町村制に基づき、鹿児島県垂水村、大正13年に垂水町となり、以来、躍進を続けていましたが、昭和20年8月5日の戦火のため市街地のほとんどが消失しました。翌21年に戦災復興事務所が設置され、現在の市街地形成のもととなる都市計画が進められ、昭和30年に牛根村及び新城村と合併し、同33年10月1日に市制を施行、垂水市として第一歩を踏み出し現在に至っています。

鹿児島県 垂水市