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お礼の品について
容量 | 近江日野牛すき焼きしゃぶしゃぶ用600g |
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消費期限 | 返礼品に記載 |
アレルギー | 牛肉 |
事業者 | 株式会社 岡﨑精肉店 他のお礼の品を見る |
自治体での 管理番号 |
OHF009-1 |
お礼の品ID | 4988970 (Amazon Alexa対応) |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可 |
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申込期日 | 通年 |
発送期日 | 決済から30日前後 |
配送 |
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とろける美味しさ「近江日野牛」。
気候や水質に恵まれた近江日野の地にある直営牧場で、独自の飼育ノウハウにより大切に長期飼育しています。テレビ番組でも何度か紹介されており最高級との評価を頂いております。ぜひご賞味ください。
【事業者情報】
出荷元事業者:株式会社 岡﨑精肉店
所 在 地 :滋賀県蒲生郡日野町河原二丁目11番地
朝日テレビ放送「おはよう朝日です」にて、特集されました。是非ご覧ください。
完熟近江牛という、こだわり。
直営岡﨑牧場で肥育する近江牛は、日本全国の和牛産地から優秀な子牛が厳選され、子牛のうちは薄いエサでしっかりと腹を作り、じっくりと年月をかけオリジナル配合の濃厚飼料に移行する方法で、ゆっくりと育てています。
そのため、通常の牛が二十四ケ月~で出荷されるのと比べると三十六ヶ月以上の長期肥育。
岡崎の完熟近江牛(日野牛)は、肉質の旨味が最も高まる時期(生体熟成)を判断し、最高級と評価される「完熟近江牛」に仕上げ、お客様へ提供しています。
独自の飼育ノウハウにより、常時1,000頭以上の牝牛を飼育する肥育牧場として日本最大の規模となります。
近江日野の大自然
滋賀県日野町には最高級と言われるブランド牛「近江牛」を育てるのに適した気候、水質、風土があります。
また、滋賀近江の恵まれた自然風土の中でも特に見晴らしが良く、風通しの良い高台にあります。
こだわりの岡崎牧場の牛舎は、清々しい部屋の中に1マス2頭という、広い空間が保たれ、牛同士のケンカを防ぎストレス無くゆったりと過ごせます。
牛舎は日野町の間伐材のみを使用し、全国から飼育関係者が見学に来られます。
*病気予防の為、一般の方の見学は不可となっております。
オリジナル配合のエサ
完熟近江牛と言われる、日野牛を育てる上で大切なのは子牛のうちは薄いエサでしっかりと腹を作り、ゆっくりと濃厚飼料に移行すること。
但馬系の牛は一般的な牛に比べ脂がつきやすく負担がかかりやすい性質があり、前半はカロリーを抑え健康的に育てる。そして、仕上げの段階には「もち米」を配合した独自飼料を与えるのも岡崎牧場の近江牛の大きな特徴の1つ。
挽き割りした「もち米」を出荷前1年間にわたり、牛にたっぷりと食べさせることで、なめらかで舌触りが良く、香りの豊かな肉に仕上がる。また、乳酸菌を与えることで肉の照り、きめ細かさを生み出している。
和牛、6代。代々受け継がれた肥育方法、近江牛最高級とのご評価に恥じない自慢の味を常にお届けできるよう、弛まぬ努力を重ねています。
※クール便対象 配送できない地域がございます※
伊豆諸島:青ヶ島村(青ヶ島)・利島村(利島)・御蔵島村(御蔵島)・式根島
小笠原諸島:小笠原村(父島・母島・硫黄島・南鳥島など)
お礼の品感想
すき焼き、しゃぶしゃぶに柔らかくて美味しいお肉
ゲストさん|女性|40代
投稿日:2021年3月31日 10:37
品名:【OHF009-1】近江日野牛 すき焼き・しゃぶしゃぶ用
- おいしい
- 応援したい
- オススメ
- リピートしたい
実家のある場所で、有名なお肉屋さんですし購入させていただきました。
2人暮らしなのですが、すき焼き、しゃぶしゃぶと2回に分けて頂きましたが、柔らかいお肉で美味しく頂きました。
一つ要望があるとしたら、できたら二つに小分けにしてもらえないか?というところです。二人暮らしでは一気に食べられないのでご検討ください。
このお礼の品を選んだ理由
- おいしそう・面白そうだったから
- 地元やゆかりのある地域だから
- その地域を応援したいから
カテゴリ |
肉
>
牛肉
>
すき焼き
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日野町について
滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.60平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。
この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万2千年前と言われています。旧石器時代の終わりから縄文時代の始めころ狩猟や採集生活を、さらに弥生時代には稲作も始められていた記録があり、飛鳥時代には百済の文化が持ち込まれました。
やがて、室町時代、蒲生氏の城下町となって大きく変貌を遂げ、歴史の表舞台に登場してきました。町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治め、商工業の保護・育成に努力し、鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきました。
その蒲生一族の中で、いまも日野の人々の心に生きているのが蒲生氏郷公であります。信長の娘冬姫を妻とし、その後秀吉に従った氏郷は産業政策においても秀でており、日野に楽市楽座を開きました。その後松阪12万石、会津92万石の藩主となりますが、日野の人々はなおも慕い続けました。
江戸時代に入って、漆器や薬売りの行商から発展した日野の商人は近江商人の基礎を確立し、その中心の町として繁栄、全国各地に商圏を伸ばす近江日野商人として名をとどろかせていきました。
