使うほどに深みのある色へとエージングを楽しんでいただけるように仕上げております。
小銭入れ付きコンパクト長財布[焦げ茶]


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お礼の品について
容量 | 横×高さ:18×9(cm) カードポケット数:12 カラー:焦げ茶 素材:牛革 |
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自治体での 管理番号 |
BL27-NP |
お礼の品ID | 4763320 |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可、オンライン決済限定 |
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発送期日 | 準備でき次第、順次発送 |
配送 |
一万円札の長さを基準に設計をした長財布になります。少し短めの長財布になりますので、左右のカードは、真ん中で少し重なります。
小銭入れは取り外しができるようにしています。
革はヌメ革に刷毛で染色をしておりますので、刷毛染めならではの少しムラのある仕上がりとなっております。
使うほどに深みのある色へとエージングを楽しんでいただけるように仕上げております。商品は、染色、仕上げ、カット、縫製まで弊社店内で製造しております。
強く擦ったり、濡れた布巾等で擦りますと色が移ることがございますのでご注意ください。
お手入れは、2~3ヶ月に一回程度ミンクオイル等のレザー用の無色のワックスを薄く塗り、柔らかい綺麗な布等で軽く磨いていただきますとより長持ちすると思います。
また、革の裏側は生地等は貼り付けておりませんので、表の染料が裏側に少し滲んでいる場合がございます。多少の傷がある場合もございます。予めご了承下さいませ。
染色・裁断・革漉き・仕上げ・縫製の全工程を自社で行い製造した
MADE IN 岩手の逸品「NEN-RING(ネンリング)」

盛岡市鉈屋町。古くからの町屋が並ぶ通りに「ジーンズショップKIDANA」は店を構えています。
店内にはデニム製品を中心にカジュアルウェア、オリジナル小物など幅広いアイテムを取り揃えていますが、その一角に「NEN-RING(ネンリング)」のコーナーがあります。
自分の店のオリジナルの商品を作りたいという想い、そしてお客様からの要望を反映させた品をつくりたいという想いから「NEN-RING(ネンリング)コンパクト長財布」は生まれました。
長い財布はポケットに入れるとはみ出てしまう。また折りたたみ財布では厚みが出てしまう。それなら短めの長財布を、ということで生まれたコンパクト長財布は「第54回岩手県発明くふう展」で特賞の「岩手県知事賞」を受賞した逸品です。
通常は分業で行う一連の作業を一人で、ひとつひとつ丁寧に手作業で行います。
【染付】革を切り出し刷毛で全体を染色、そして乾します。この工程を数回に渡って行います。
【裁断】革の抜型とプレス機を使用し裁断を行います。
【革漉き(すき)】一番難しい作業です。パーツによって適した厚さに革を漉いていきます。革を漉くのには「革漉き機」を使用しています。
【縫製】ミシンを使用して縫製、そして完成!
漆塗り製品は地元盛岡の事業者「浄法寺漆産業」から仕入れた浄法寺漆を使用。まさに「MADE IN 岩手」と呼ぶに相応しい逸品です。漆は曲げてもひび割れしにくいよう独自に調合。刷毛塗りから生まれる模様も漆塗りならではの楽しみ。年輪を重ねるように、味わい深い逸品となっていきます。

他にはない手作りの逸品で高い評価を得ていますが、日々試行錯誤で更なる逸品づくりを目指す木棚さん。
モノづくりの腕も、年数を重ねて味わいの出る革製品も、それぞれ年輪を重ねるように進化し続けます。
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盛岡市について
豊かな森に囲まれ,あふれ出る清らかな水に恵まれた盛岡。雄大な岩手山の裾野に広がるこの土地は,旧石器時代から人々が暮らし,生活の跡を残しています。縄文時代にはいくつもの集落が点在し,森や野原の恵みと海からの恵みが交わる交易地としてにぎわいが生まれました。
人々の暮らしに大きな変化が起きたのは平安時代です。803年(延暦22年),征夷大将軍坂上田村麻呂が北上川西岸に志波城を築き,新たな開拓の歴史は始まり,朝廷による東北経営の拠点となりました。
やがて,戦国時代になると,志和郡(紫波町)を拠点とする斯波氏と三戸(青森県三戸町)を拠点とする南部氏の二大勢力が覇権を争い,この戦いに勝利した南部家26代南部信直が,豊臣秀吉から岩手郡を含む7郡の本領を安堵され,盛岡藩が誕生しました。盛岡藩の2代藩主利直の時代に城下町の建設が大きく進展します。町割りは,城の周りに二重の外堀を巡らせ,上方や江戸から迎え入れた商人や職人が町を囲み,その外側に三戸から移ってきた武士の屋敷や寺院を配置したもので,新しい時代の軍事や商業,交通などに対応する環状市街地が形成されました。これが,現在でも盛岡の中心市街地の基本的な骨格となり,城下町の情緒と風格が「盛岡らしさ」として残っています。
その後,明治時代の廃藩置県により,盛岡藩は盛岡県,その後岩手県に変わりました。そして1889年(明治22年)の市町村制施行により,全国39都市の一つとして人口2万9190人,面積4.47平方キロメートルの県都盛岡市が誕生しました。
近年の盛岡市は,1989年(平成元年)に市制施行100周年を迎え,1992年(平成4年)4月には南に隣接する都南村と,2006年(平成18年)1月には北に隣接する玉山村と合併を果し,人口約30万人,面積886.47平方キロメートルの新生盛岡市となりました。また,2008年(平成20年)4月には中核市へと移行し,県から民生や保健衛生,環境,都市計画などの行政分野における事務の移譲を受け,新たなスタートを切り,現在に至っています。
今後も,さらに自立性を高め,新たな課題にも対処するため,健全な自治体経営を推進するとともに,北東北をリードし,要となる拠点都市としてさらなる発展を目指していきます。
