最高級酒米山田錦を五割まで磨いたなんとも小気味良い飲み口の絶品純米大吟醸。
純米大吟醸五割磨き720ml


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お礼の品について
容量 | 720ml |
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消費期限 | (美味しくお召し上がり頂ける目安)未開封で製造月から9ヶ月 |
自治体での 管理番号 |
AZ33-NP |
お礼の品ID | 4617143 |
お申し込みについて
申込条件 | 何度も申し込み可 |
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発送期日 | 順次発送 |
配送 |
◇◆純米大吟醸五割磨き◆◇
最高級酒米山田錦を五割まで磨いたなんとも小気味良い飲み口の絶品純米大吟醸。
華美ではない非常に清々しい吟醸香。
絹のようになめらかな口当たり。
押し付けがましくなくも、存在感のある奥深い米の旨み。
香り、味、飲み心地のバランスがとにかく絶妙です。
6月・12月は繁忙期の為、ご注文を一時停止、またはご注文を受けてから通常より発送をお待たせする可能性がございます。お酒は20歳になってから。妊娠中や授乳期の飲酒はお控え下さい。お酒は適量を。飲酒運転は法律で禁止されています。※空き瓶はリサイクル。専用ギフト箱にお入れしてお届け致します。包装はお受けしておりません。
20歳未満の飲酒は法律で禁止されています
あさ開
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NEW鉄板ベストセラー日本酒福袋1800ml×5本
37,000 円
酒蔵あさ開ベストセラーの日本酒が5種類のセット。
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NEW鉄板ベストセラー日本酒福袋720ml×5本
20,000 円
酒蔵あさ開ベストセラーの日本酒が5種類入ったセット。
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大吟醸 磨き三割五分 720ml
20,000 円
口に含むだけで一瞬にして広がるフルーティーで華やかな吟醸香。
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日本酒5種類飲み比べセット300ml×5本
14,000 円
あさ開の人気の日本酒5本飲み比べセットです。
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純米大吟醸五割磨き1800ml
26,000 円
最高級酒米山田錦を五割まで磨いたなんとも小気味良い飲み口の絶品純米大吟醸。
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純米大吟醸五割磨き720ml
15,000 円
最高級酒米山田錦を五割まで磨いたなんとも小気味良い飲み口の絶品純米大吟醸。
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純米大吟醸原酒結の香仕込み720ml
22,000 円
目指したのは「岩手の最上級」。 岩手県産の酒造好適米品種「結の香(ゆいのか)」仕込み。 やはりこのお酒の最大の特徴は「原料米品種」。 岩手の気候風土、そしてこの地で連綿と育まれてきた、日本最大の酒造り技能集団「南部杜氏」の技。 その2つの特性を最大限に活かす、岩手県独自の「大吟醸専用」の酒造好適米の研究が、およそ10年前から始まりました。 それが「岩手酒98号」こと・・・「結の香」。 目指したのは「岩手の最上級」。 母方に「華想い」、父方に「山田錦」。 大吟醸用の酒米として、最も重要な「精米・醸造の際に破砕しない」という特性。 そして最大のテーマは、南部流の酒造りの最大の特徴であり、原点ともいえる・・・ いかに澄んだ旨みを引き出すか。 醸されるのは極上の一滴。 こうして出来上がったお酒。 雑味成分の少なさにおいては、 日本最高峰の酒米「山田錦」をも凌ぐ、 透明感に溢れながらも、たおやかな旨みが生きる酒が誕生しました。 大変にきれいな酒質でのどごしがすっきりと良い。 だけど、お米の旨みがしっかり息衝いているので物足りなさは一切感じません。 特に日本料理との合性が抜群!お刺身や山菜の天ぷらなど合わせてお愉しみ下さい♪ 20歳未満の飲酒は法律で禁止されています
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純米大吟醸磨き四割極上1800ml
46,000 円
吟味した最高の素材だけが生み出す、奥深くなめらかな米の味わい。
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純米大吟醸磨き四割極上720ml
25,000 円
吟味した最高の素材だけが生み出す、奥深くなめらかな米の味わい。
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盛岡市について
豊かな森に囲まれ,あふれ出る清らかな水に恵まれた盛岡。雄大な岩手山の裾野に広がるこの土地は,旧石器時代から人々が暮らし,生活の跡を残しています。縄文時代にはいくつもの集落が点在し,森や野原の恵みと海からの恵みが交わる交易地としてにぎわいが生まれました。
人々の暮らしに大きな変化が起きたのは平安時代です。803年(延暦22年),征夷大将軍坂上田村麻呂が北上川西岸に志波城を築き,新たな開拓の歴史は始まり,朝廷による東北経営の拠点となりました。
やがて,戦国時代になると,志和郡(紫波町)を拠点とする斯波氏と三戸(青森県三戸町)を拠点とする南部氏の二大勢力が覇権を争い,この戦いに勝利した南部家26代南部信直が,豊臣秀吉から岩手郡を含む7郡の本領を安堵され,盛岡藩が誕生しました。盛岡藩の2代藩主利直の時代に城下町の建設が大きく進展します。町割りは,城の周りに二重の外堀を巡らせ,上方や江戸から迎え入れた商人や職人が町を囲み,その外側に三戸から移ってきた武士の屋敷や寺院を配置したもので,新しい時代の軍事や商業,交通などに対応する環状市街地が形成されました。これが,現在でも盛岡の中心市街地の基本的な骨格となり,城下町の情緒と風格が「盛岡らしさ」として残っています。
その後,明治時代の廃藩置県により,盛岡藩は盛岡県,その後岩手県に変わりました。そして1889年(明治22年)の市町村制施行により,全国39都市の一つとして人口2万9190人,面積4.47平方キロメートルの県都盛岡市が誕生しました。
近年の盛岡市は,1989年(平成元年)に市制施行100周年を迎え,1992年(平成4年)4月には南に隣接する都南村と,2006年(平成18年)1月には北に隣接する玉山村と合併を果し,人口約30万人,面積886.47平方キロメートルの新生盛岡市となりました。また,2008年(平成20年)4月には中核市へと移行し,県から民生や保健衛生,環境,都市計画などの行政分野における事務の移譲を受け,新たなスタートを切り,現在に至っています。
今後も,さらに自立性を高め,新たな課題にも対処するため,健全な自治体経営を推進するとともに,北東北をリードし,要となる拠点都市としてさらなる発展を目指していきます。
